
「信頼できるパートナー」について考える。
真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、君、「信頼できる人」はいるか?
才色兼備、文武両道、温厚篤実。
五角形のアレだと知力、体力、財力、徳力、気力すべて最高値の完全形を形成し、私は全てで凌駕されている。慈悲深く美しい女神として我が家に君臨している。彼女が中心となって家が動いていると言っても良い。
やったことは無いが、時計の修理とか、電子機器の作成とか、緻密な作業は私の方が得意だろう。面白さ?や下らないダジャレなども私が勝つ?と自認しているが、最近は披露する機会もない。どうでもいいがこのブログでたまにその力を発揮したい。
脱線したが、私の人生が今それなりの資産額を達成してある程度の「成功状態」とするなら、成功は彼女に因るところが大きい。私にとって特に重要なのは、信頼できるという事だ。人間、何かをある程度は信頼できないと、人生の長い日常を正気を保って生きていけない。中でも、全幅の信頼を置ける人が1人はいないと、何事も問題になりやすい。
変な例だが、書類などで「緊急の連絡先」を記入することが時々ある。その程度でも孤独を貫く人は難しい作業となる。肉親がいるかもしれないがいつかは居なくなってしまう。そういう意味でも信頼でき、伴侶であるパートナーというのは唯一無二の存在だ。
私は凡庸で、ある意味誰にでもあるような「邪悪な一面」も持っているが、彼女の力によって少ない良心が覚醒し、今の所はそれを抑えて、一応、一見だが、真人間として踏み留まっている(ように思う)。とにかく人生はパートナー次第だ。
良いパートナーは値段のつかない価値がある。
唯一、あまり過度に依存していると、独りになった際に立ち直れない懸念がある。どんな事も完全は無い。
投資においての「目標資産額達成」を含む、どんな成功に於いても、良いパートナーを得る事が大切だ。
「配偶者」が多くの場合で理想的と思うが、良い関係を続けられて、信頼できるならば、他の形態もある。例えばビジネスに特化した有名なパートナー同士は誰でも何組か知っているだろう。また人間が理想的だが、犬や猫も良いかもしれない(その場合は、人間より早く死ぬ可能性が高いので、その損失を乗り越える事に備える必要がある)。
例えば、山奥で隠匿し、世俗から極力離れながらも、投資で大成功するとすれば、そこには必ず、何らかの「良いパートナー」が存在するだろう。逆に大都会でも孤独で孤立していては、どんな成功も達成は難しい。成功どころか、場合によっては普通の生活の維持も難しいのだ。
凡人の独居は、何にしても小さくて一時的な成功が関の山で、いずれ、破綻する。孤独や孤立というのは、それ程恐ろしい。
また、逆説的だが、成功した際に、その偉業、目標達成の素晴らしさを分かち合い、一緒に喜ぶためにも、信頼できるパートナーが重要だ。何かで独りぼっちで成功して、何十億円、何百億円作ったとしても、完全に孤立していたら、そのあとどうしようがあるだろうか。独りでどれだけその成功を楽しむことができるか。世界中を旅行しても、旅先で景色を見るのも独り。食事も独り。移動中も独り。そういう旅が好きな人もいるだろうが、常時それで旅から帰ってきてもまた家で独りでは、いつか精神を病んでしまいそうだ。せめて心の通った愛情を注げる動物でもいれば、随分違うだろう。人間であれば、会話できるから時々喧嘩があったとしても、永遠の孤独よりは楽しい人生になりやすい。
人生の一般的な成功を目指すならば、早いうちに信頼できるパートナーを見つけることだ。
全て、個人の意見だから、自分でもよく考えてくれ。
投資は自己責任。言動は自分の思考で。ではまた