
日本人第一主義?について考える。
今更であるが、参院選が終わって随分経った。いつものように?結果についてはどうでもよい。
だが、選挙戦を通じ「外国人についての対策」が注目され、俺が間違えているかもしれないが、どうもそれは今回躍進したとある政党の「日本人ファースト」なる発言で火がついたようである。今回はそれを題材とする。
対立構造としては、こんな単純ではないと思うが、極大枠で見れば「オールドメディアや左翼系の思想に近しい筋から見ると、外国人差別や排斥に繋がるととして攻撃の対象」であり、その敵対勢力に近しい連中は「日本人第一の何が問題なのか」といったところか。
そもそも「日本人ファースト」が何を意味するのか、定義は曖昧な事もあり、俺の意見も含めてその是非は考える必要は無く、また明確に結論も出ない。基本、超富裕層を目指すためには、それはどうでもよい。
だが、一見どうでも良い?ようなこの発言でこれだけ多くの人が大騒ぎするわけだから、少なくとも一部の日本人の琴線に触れる様だ。以下、自身は是非は正直「どうでもいい」俺のゲスい考え方に基づき、屁理屈で考察する。
第一に「全員平等」の現実性だ。
極端な例として政府が邦人救助目的で海外活動する場合、救助資源に余裕がなければ(輸送できる人員に制限がある等)、日本人を優先するのが普通だ。「日本人ファースト」で問題無かろう。
一方、災害救助などで派遣された場合の「現地での医療食料援助」等では、万人を等しく扱うのが人道的だ。「全員ファースト」で怒る人はあまりいないだろう。そもそも緊急事態でいちいち国籍を確認するのも非合理的だ。
また、選挙期間中の騒動では「日本人以外」をひとくくりにしがちであったようだが、国籍によっては外国人の扱いも違う。国交の無い国、観光ビザ取得も難解な国、日本入国が容易な国々、様々だ。彼らは「国籍によって扱いを変えられている」わけだ。日本人以外でも「〇〇人優先」がまかり通っているとも言える。これを全部等しく扱う事ができるだろうか。
こうしてみると、「全員ファースト」は高尚ではあるが、実際は「運用困難な理想」で、現実的には、「全員」と「日本人」の中間が落とし所になる。つまり多くの場合で「日本人優先」、その他でもせいぜい「全員同等」であるから、全体の平均としては「日本人優先(ファースト)」になってしまう。
これを完全否定する、例えば「いかなる場合でも全員平等」を徹底するのは、仮に有権者がそれを支持したとしても、非現実的だし、そもそも不可能と考える。
第二に、凡人の他愛構造?だ。
聖人はしらないが、俺のようなゲスい凡人は、自分に余裕がある場合のみ、慈悲や博愛の精神が育まれるというケシカラン習性がある。
もし、そのような凡人が多数派とすれば、日本人全体としてそれ以外に優しくなるには、まず凡人勢力にある程度の余裕が必要だ。
そうだとすれば、日本人以外ファーストという理想になるべく近づくためには、日本人ファーストを「まず」徹底した方が良いのだ。
第三に、超富裕層ブログらしく「投資先としての日本国」で見たら、件の発言は影響あるか考えてみる。
これは日本人だったら、例えば「米国で”米国人ファースト運動”があるとして、それでも米国に投資したり旅行先として考えるか」を想像してみれば良いであろう。
色々意見あるだろうが、俺としては米国人が自国民を第一に考えて何が問題なのか、と考えるので問題は無い。
逆にもし米国が米国以外を優先するとか言い出したら、不安になってしまう。
したがって外国人投資家の立場としても、それほど問題視されないと考える。
という事で日本には他に問題山積だし、「日本人ファースト」程度で騒いでいる暇は無い。どうだろうか。