
自分の証明について考える。
どうでもいいが、「伊豆地方の某市長」の学歴疑惑で騒動となっている。だいぶ落ち着いて来たが、再選挙に出馬するらしいから、その際また色々取り上げられるだろう。
この件に関して言えば、例の「謎の証書」を「チラ見せ」した事で騒動が大きくなった。単純に経歴の間違い、勘違いだったと言っておけば収束しそうなところへ、この2点の燃料投下でで格好のゴシップ餌食となってしまった。
仮に「本物の証書」を「チラ見せ」でも、「謎の証書」を「堂々と提出」でも、大騒ぎ必須であるが、両方揃ったところで格段にオイシく?なってしまったのだ。一番の被害者は市民や議会だが、二番目は東洋大学だ。Fランだとか否定的に扱われてしまった。
それはいいとして、この件で思い知らされるのは、様々な「証明」の難しさと、様々な事実認定のいい加減さの問題である。
まず第一に、介在する第三者の疑わしい信用性だ。
件の騒動では、いわゆる「権威」というか「認証すべき第三者」である「大学」が一応、真の証明(卒業したのかそうでないのか)が可能だ。実際大学が除籍が事実とした。
それ自体を疑うのは非合理的だが、「謎の証書」の出どころによっては、それも崩壊する。
他の例では、「テレビ局が信用しているから」という理由で、視聴者は出演者の「経歴」等を信用するが、後に経歴詐称が露呈することはよくあるし、実際ショ◯ンK事件もあった。
「学歴」における「教育機関」、「職歴」における「勤務先」、「戸籍」における「地方自治体」、「国家資格」における「所轄省庁」は、一応「一次的」「大元」の「信認期間」であるから信用するしかない(そうでないと何も信用できない)が、二次的介在者以降は、超富裕層を目指すケチな人間である俺自身は基本、信用しない方針だ。
つまりマスコミやネット情報などは疑いを持って見る。そして他の情報などに基づき、出来る範囲で裏を取る。完全では無いが情報に対する気の持ちようだ。
また第二に、介在する物理的な証明(書)の信用性だ。今回の「謎の証書」もここに入る。
都市生活していると、頻繁という程では無いが、結構何かを「証明させられる」機会はある。
ビルやオフィスへ入るのに許可証の類とか、運転免許を出せとか、海外旅行でパスポートとか、色々である。クレジットカードとかスマホで支払い等も、証明の一種だ。そう考えると、日々、証明を求められている。
だが、入国に於けるパスポートや警官に見せる免許は、流石に必要に応じて何らかの認証システムでチェックしているだろうが、それ以外の場合では、実用性上、それを「見せる(証明される側は見る)」だけでチェック済みとなる。
小説とか映画とかで警察手帳・バッジを見せるシーンがあるが、本物かどうか見極めるのは難しい。あるいはコンビニで年齢証明で見せられる免許が偽造かどうかわかる店員はあまりいない。
もっと穿って、よく医療機関や法律機関で免状みたいなのを額に入れて壁に付けてある。本物かどうかはわからない。偽医者や詐欺会計士かもしれない。
この類も、緊急性がなければ、自分で出来る範囲で信憑性を調べるしかない。警察官が来たら所轄に自分で電話して当該人物が本当に存在するか確かめるのも、最近の小説ではよくある場面だ。
そして第三に、第一第二に関連して、証書類の偽造だ。
普通、教育機関に各種証明書を請求すると、「開封無効」の封がされる。偽造防止のためだ。
だが、それらは所詮紙で作られた封筒と糊だけで守られている書類である限り、その秘匿性や気密性を突破するのは容易だ。糊をバレないように剥がせるし、書類もソックリのモノを作る事は不可能ではない。
この点、今後各種情報が電子化されていく(あるいはもうされている)から、PGPとかその他の電子署名で問題は解決される可能性がある。「謎の証書」でも、署名を検査すれば即座に真偽が確定する。
話がそれるが、この点で少し興味深いのは、将来「謎の(電子)証書」が出現したとして、「証書は電子署名されているので真正だが、卒業はしておらず除籍」という可能性があることだ。
なぜなら、「署名者、署名システム」に「卒業状態」が必ずしも紐づけられている「確証」がそこには無いからだ。件の証書も、このような錯誤が原因である可能性はゼロではない。例えば、無理やりだが、当時は4年生の9月以降であれば、お金さえ払えば「証書」だけは発行するという方針だったかもしれない。
最後に第四点として、それら証明と、実際の人物の一致性?である。
例えば人事部で応募者「山田太郎」を採用するとして、戸籍謄本を提出させたり、履歴書の学校から卒業証明を取り寄せ、問題無いとする。
だが、面接に来た人物が果たして本当の「山田太郎」であるか、確証が得られるか。
色々な考え方があるだろうが、突き詰めると、日本国ではそれ(に近い証明)は父親誰々で母親誰々の子供として登録される「戸籍」だ。
しかしそれさえも物理的な人間との関連は無いので、絶対証明とはならず、精々が「両親と称する人がある新生児を男子、山田太郎として戸籍登録した」という事実だけである。
今後、もし「本当の自分の証明が必要である」というご時世になればだが、戸籍や「出生時マイナンバー」に「生態認証情報」を登録するとか、そういう社会になっていくかもしれない。俺としては良いとも悪いとも言えない。
こうしてみると、実際に認定されていても「証明」は難しい面があるのに、よりによってそれを「チラ見せ」するとは、世の中のありとあらゆる認証努力を冒涜する行為で、あの元市長は即刻引退が妥当だろう。どうだろうか。