近代史の重要な一日について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 無職(求職中)の素人視点なので疑って読んでくれ。
はじめに
君、今日6月6日は何の日か知っているか?日本近代史の重要な出来事の一つ、「ミッドウエー海戦」があった日だ。日本時間で正確には5日から7日辺りだが、趨勢は79年前の本日6日に決した。
そんなの関係ねぇ!と思われるかもしれないが、ご宣託中心の、役に立たない文系学問の中でも、歴史というのは数少ない、見返りのある分野だと思う。現世は歴史の積み重ねで成り立っており、現代社会を考えるなら歴史を学ぶのは有意義だ。俺調べでは、資産家や富裕層より上は例外なく皆歴史に興味があり、ミッドウエー位はよく知っている。超富裕層になるために、歴史を勉強した方が良いと考えている。
俺は戦史が好きで、大昔、子供向けの太平洋戦争戦記本をよく読んでいた。今日は、その知識をひけらかすが我慢してくれ。
簡単な経緯
まず、手短に経緯を書くと、日本の機動部隊(空母とその艦載機を主要な戦力とする艦隊)を含む海上部隊が、ミッドウエー島攻略作戦に進発。米国は島の北東で機動部隊を配置、待ち構えていた。
西から来た日本の機動部隊は、索敵失敗等で、攻撃目標を「陸上基地か、敵機動部隊か」で混乱した。その間隙を縫った、米軍の機動部隊と、ミッドウエー島からの、連続航空攻撃が日本の空母を全滅させた。
日本軍の戦術的な敗因
さて、改めて、君、ミッドウエー海戦で、なぜ日本が負けたのか、何となくでも知っているか?俺も偉そうに書いているが、あやふやだ。
ここから先を読めば知ったかぶりできるぞ。
最初に結論を書くと、日本の敗因は:
- 米軍が日本の機動部隊が来るのを知っていたというより、日本軍が敵の機動部隊がいるのか知らなかった。
- 日本の機動部隊は、先に発見される(よって、ほぼ先に攻撃される)のが必然だった。
- 総合的な戦力、特に航空機戦力で、米軍が圧倒的に優位だった。
この3つだ。以下説明する。この先はある程度の知識が前提なので、興味のある人はネットで調べてくれ。
「知られていた」というより、「知らなかった」
よく言われるのが、情報・諜報戦ですでに負けていたというヤツだ。だが、「米軍は知っていた」というより、「日本軍が知らなかった」というのが、主要な敗因とも言える。
作戦行動に悪影響した不確定要素
広い西太平洋の拠点の中で、米軍がミッドウエー島付近に海軍兵力(太平洋で稼働可能な全ての空母)を集中させていたので、来るのを予測していたのは明白だ。オアフ島からミッドウエー島基地へ航空戦力も移動拡充されていた。
米軍は時期(6月上旬)と場所(ミッドウエー島付近)が大体わかっていて、準備して待ち構えていた。勝てる筈だ。俺もそう思うが、より日本軍にとって致命的だった事が、「日本軍が、索敵で見つけるまで、米軍の機動部隊がいるのか、いないのか、わかっていなかった」という事だ。
日本の機動部隊は、敵空母発見まで、確証がなかった。ましてや発見後も空母の有無で情報が錯綜した。だから逐次判断において「もし発見した時」の為の準備に苦慮し、「でも居ないかもしれない」という事も考慮して、ミッドウエー島の基地と、所在不明の機動部隊の影の2つの敵に混乱した。
確定後の日本軍の反撃
「敵機動部隊が必ずいる」と決めつけていれば、米軍に待ち構えられていても、結果は違ったかもしれない。実際、敵発見後はほぼ互いに攻撃し合う展開になり、空母1隻を大破させた(その後潜水艦攻撃により沈没)。
不利な索敵条件で先に発見され、空襲を受ける
日本の機動部隊は、作戦上、また物理的に先に発見される可能性が高かった。海戦の前半は、日本の機動部隊はミッドウエー島からの索敵で発見されるかもしれないが、米軍の機動部隊は少し遠くで待ち、発見される可能性は低かった。
日本軍機動部隊が先に発見される必然
なぜ米軍の機動部隊は島の東で待っていたのか?西から日本軍が来るから自然だが、島を守るなら島より西で待つという手もある。しかし遠くにいれば、索敵条件で決定的な差がつく。なぜなら西から東に、
日本軍機動部隊 ー ミッドウエー島 ー 米軍機動部隊
という位置関係(実際は島はだいぶ南にあって三角形)だからだ。東進してくる日本の機動部隊は、作戦上、島が確定した攻撃目標だったので、最初に島にむかって航行した。そのミッドウエー島には飛行艇(哨戒目的で航続距離が長く水面発着できる飛行機)が約30機も配備されていた。島と日本機動部隊の距離が近くなるほど、島からの索敵で発見され易くなる。
米軍の機動部隊は、日本軍に対峙する前に北東で離れて待って、物理的に日本軍に近い、ミッドウエー島基地の飛行艇に索敵を任せることができた。つまり自分は発見されずに、相手の位置を先に知りやすかった。索敵の条件が、圧倒的に米軍の機動部隊に有利だったのだ。
実際、日本の空母はミッドウエー島基地からの飛行艇に先に発見された。そしてその情報は米軍の機動部隊に程なく届いた。
日本の基地攻撃の空振り
細かい話だが、この発見の直後、日本の機動部隊からミッドウエー島基地攻撃隊が発艦した。基地は飛行艇からの発見報告で警戒、ほぼ全ての航空機が既に日本機動部隊への攻撃発進後で、日本の空襲はあまり効果がなかった。勝敗を決した複数の要因がすでにここにあった。先に発見され、基地の航空機を撃ち漏らしたどころか、それらに攻撃されてしまったのだ。
先制波状空襲
そして、日本の機動部隊は、基地から2回、その後米軍の機動部隊から2回、計4回の先制空襲をされた。米軍は索敵の好条件を生かした。日本が米軍の機動部隊を攻撃したのはその後だ。ずいぶん後手に回ったことになった。
元々のミッドウエー島付近での戦力差
戦史を見ても、連戦連勝の機動部隊を擁する帝国海軍が、どうも敵軍が格段に戦力が下と推測しているフシがある。通説でも、戦力で劣る米軍が勝利したという趣旨も多い。最近この海戦を題材にした映画が公開されたが、そこでもそういう描かれ方だ。しかし、見方によっては、戦力は普通に米軍圧倒的有利だ。
日本が有利だったのは空母数、航空機数では米軍が圧倒
日本軍が知らなかったとしても、先に発見されたとしても、戦力差が大きければ圧倒できたかもしれない。実際、米軍は日本の空母4隻より空母数では劣っていた。しかも米機動部隊の空母3隻中1隻は前月の珊瑚海海戦で大破、ハワイで応急修理した不完全状態だった。
だが米海軍の空母は航空機収納効率が良く、1隻あたりの艦載機数が多い。実際正規空母の数は1隻少ないが、艦載機の合計はほぼ変わらない(約240機)。これに加えてミッドウエー島の基地航空隊が前述の飛行艇以外に約100機。仮に航空機の性能、操縦員の熟練度は日本が優れていたとしても、航空機戦力で計約100機劣っていた日本と大きい戦力差だ。
米軍は間隙を突ける攻撃航空機数があった
実際、最初は米軍の空襲を、舵取りで避けられたり、直掩(空母の上空を警備防衛する戦闘機)のゼロ戦が防御できていた。しかし自軍の攻撃隊機と直掩機の着艦収容、再攻撃の準備、攻撃目標変更による兵器転装等で隙ができた。結果そこを米軍が突けたのは、機動部隊(空母2隻の部隊と、空母1隻の部隊、計2部隊)と、基地航空隊に4回先制攻撃するだけの攻撃機数があったからだ。
これだけ有利でも、米軍は薄氷の勝利、偶然(幸運)も必要だった
米軍は待ち構えていた、日本軍は敵空母所在が不明、先に発見される必然、航空機戦力が米軍有利、日本軍にとっては大敗は必然だった。
それでも、「運命の5分間」(興味があれば調べてくれ)は大げさにしても、1時間弱の前後で勝敗が変わったか、日本の被害も著しく少なかったかもしれない。偶然というのは、例えば、上記の隙が出来た時、タイミング良く、米軍の攻撃機が日本の機動部隊付近に到着、空襲を開始した。とにかく米軍も薄氷の勝利だった。上記の条件が幸いした。