鉄道会社について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 無職(求職中)の素人視点なので疑って読んでくれ。
唐突だが、ここ数年、旧国営の鉄道各社は、特に地方で、路線減や廃駅等がよくニュースになる。
そういう報道では、決まって路線が通っていて駅のある自治体や、そこの住民が反発し、経営陣が、時間をかけてでも合意に持っていくため、釈明したり代替提案したりして苦慮している。
俺はそれら鉄道会社の株は持っていないが、報道を見る度に、何だかいたたまれなくなる。
不便になる地元の人達や該当自治体が不憫じゃなく、投資家としてはその鉄道会社をよく使う顧客と、従業員達と、株主が気の毒だ。安全対策とか、優秀な人材の確保とか、他に重要な仕事があるだろうに、こんな圧力への対応に時間を割かれてしまっている。
運営する鉄道会社としては、その路線が採算取れないと、廃駅、廃線、減便を考慮せざるを得ない。直接の原因は、鉄道会社の経営努力不足もあるだろうが、結局は地元の利用客を含め、乗降客が少ないからだ。つまり需要が減少しているのだ。それも多くの問題路線で、急激に、大幅に需要低下が起きている。
利用者が減ったから合理化なのに、その路線をほとんど使わない地元の自治体が維持しろとは、株主からすれば訳がわからない。売れない赤字商品を、それを買わない人達に、半永久的に売り続けろと言われているようなものだ。そんな会社や商売が成り立つだろうか?何のためにやるのか分からない。いや、分かったとしても、採算が全然合わなければ、合理化が必然だ。
鉄道文化の面から、何とか維持したいという意見もある。遺構や古い施設・車両等で観光需要や、鉄道愛好家の人気で採算が取れればよいが、実情はそれには程遠い。話が逸れるが、そのような人気を博すモノの多くは趣を重視し、乗客が少なかったり、人里離れた場所を運行するのが逆に人気の理由だったりする。
しかしどれだけそのような人気があっても、株式会社なのだから、究極はペイするかどうかだ。鉄道ファンが全国に200万人居たとしても、JR全体の赤字が年1000億円とすれば、1人50000円も愛好家投資しなくては行けない。赤字はこのままでは年々増えるし、愛好家も車で行って写真を撮ったりという人口も多いから、結局は実需がそれなりにないと、経営は難しい。まぁ旅客業だから当たり前か。
国営時代に無責任に路線を隅々まで、それはそれは辺鄙(失礼!)なところまで伸ばしていまっていた責任もあるし、それを含めた歴史的経緯や社会的意義も「全く無い」とは言わないが、基本は営利目的で会社が存続できるのが大前提だ。でないと株主は困ってしまうし、従業員に給料を払えない。
そもそも会社はすでにその範囲(出来るだけ維持を目指す方針)で長年考慮した結論が、廃駅や路線減だ。実際各社の経営は何年も前から、そんなに余裕はなさそうだ。経営を維持するために、路線を維持するために、政府からの補助金も払われている。国民の税金が原資だ。
ましてや、もし地元住民や自治体の圧力に負けて、無理やり赤字路線や不要駅を維持して、余裕が無くなった結果、運輸業で一番大切な安全に影響したら、会社の存続どころではなくなってしまう。
俺が株主で、もし路線合理化が議題に上がらなかったら逆に経営陣の見識を疑う。結局は、誰かが心を鬼にして即座に廃線、廃駅、経営資源集中を断行するしかなくなるだろう。問題はそれが何時かだ。遅かれ早かれ起こるということは、早い方が良い。これは経営者の手腕にかかっている。泥をかぶっても良い、矢面に立ってもやるという行動力が問われる。つくづく会社は経営者次第だと思う。これについてはまたいつか書きたい。