喫煙について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
超富裕層を目指す 求職中の俺もご多分に漏れず、昔タバコを吸っていた。何回目かの禁煙が成功し、今に至っている。だからいってみれば今も禁煙中だ。そのため、「禁煙中あるある」であるが、人一倍周りの喫煙に敏感であり、副流煙を吸いたくない。特に吐き出された煙は嫌だ。喫煙者がいればそばを離れるようにしている。昔は自身が喫煙者でそこら中に何も気にせず煙を吐き出していたのに勝手な理屈だと思う。とにかく今は喫煙していない。もう一生吸わなくても良いが、将来ヤケになったらまた吸い始めるかもしれない。わからない。
さて、一般的に喫煙は合理的だろうか?
それはもう答えが出ている。非合理的だ。まず自身と周囲の健康に悪影響がある。次に多くのビジネス現場で周囲の自身への評価が下がる。そして地球環境にも悪い。最後に経済的に負担がかかる。良い理由はあまり思い浮かばないが、喫煙家にとってはいくつかあるだろう。でも健康に悪い時点で些細な事だ。周りに配偶者や子供がいればなおさらだ。犬や猫もタバコは嫌いだ。
しかし、タバコ需要は底堅い。喫煙率は下がっているようだが、ある程度の喫煙者は永遠に存在するだろう。なぜだろうか。
俺は昔、次のように考えていた。
すなわち、人間は常に合理性だけで行動判断しない。喫煙は有毒とわかっていても、人生になんらかの豊かさ?を与えてくれる。例えば食後の一服や喫煙室の談話でリラックスできる。また、飲酒や賭博等に共通の部分だが、カッコ良さ?もあるかもしれない、つまりライフスタイルの一部?として吸っている。
だが、元喫煙者 超富裕層を目指す 求職中の俺はこう考える。
非合理性への抵抗などという高尚な理由?や純粋リラックス目的でスモーカーは喫煙しない。
ではなぜ、一日何本も、場合によっては何箱も、タバコを吸うのか?
それは単に依存症だからだと思う。
飲酒や賭博、TV視聴、運動、やりすぎてしまう多くの事に依存性があるのと同様だ。何事も嗜むとしても依存前で抑えないと厄介だ。タバコも依存症にならない程度に人に迷惑をかけずに楽しむのであれば、違法ではないので、他人はそれを非難したり強制阻止できない。だが、他の嗜好と違って、少量でも紫煙は人体に有害、ここが飲酒や運動と違う。健康を諦めたのでなければ、やはり自身で避けるのが合理的だ。
さて、このように一見百害あって利はほぼ無いようなタバコがなぜ世間に入り込んでいるのだろうか?
簡単だ。それは既得権益があるからだ。具体的に言うと、タバコ会社、そしてタバコから税金を取る政府だ。つまり経済的な理由だ。昔はタバコ屋等もあったかもしれない。しかし、健康問題の保険負担を考えると政府としてはどうも得なのか分からなくなってきた。タバコ屋はもうほぼ壊滅した。つまり現在は単にタバコ会社を、喫煙者を含めた全員が、前述した健康、環境、費用の代償を払って支持している事になる。
誰か計算しているだろうが、これは容易に代償が多すぎると想定できるだろう。だって実質得をしているのはタバコ会社だけなんだから。つまり全体で見てコスパが悪すぎる。このような非効率性は、投資家がもっとも忌み嫌うものだ。したがって、喫煙制度は無くした方が良い。せいぜい医療麻薬みたいにして維持すれば充分だ。あるいは超高税にするとか。そうなると反社会的組織の資金源になってしまうかもしれないが、それでも社会負担が少なそうなら、禁酒法ならぬ禁煙法があっても良い。どうだろうか。まぁ禁酒法時代もあまり効果はなかったと聞いているので、タバコ増税を繰り返して徐々に減らしていくのが現実的だろうか。