運輸危機と「縮小清貧倹約」思考について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
特にバスや配送は過酷な労働環境のせいか、人員不足がよく報道され、人手が減るとより少ない人への業務集中になり、悪循環を生んでいる(らしい)。
とにかくタクシーが中々来ないとか、配送に時間がかかるとか、バス鉄道の減便や廃停留所とか、常時発生し報道されている。
俺もタクシーとか乗るのは年に数回だが、先日、出先(スーパー)で買い物が終わって荷物が多いから、タクシーを呼んだらタクシーが足りずいつ配車できるかわからないと言われ、結局1時間程待たされた。
たとえ運輸業者が人材確保・育成の企業努力をしても、全体の人口減のため介護、教育、建築、電気や水道の管理、コンビニ等、他業種でも人手不足だから、運輸だけ人手を増やすというのも難しい。
従って革新的技術とか外圧とか天変地異とか、何らかの「神風」が吹かないと、今の構造は維持できるような変化は起きず、早晩行き詰ると思われる。人手自体が無い・少ないから「不可欠な業種」以外も行き詰まるが、困る人が多いから「不可欠」分野から顕著になる。
普通、このような大きな困難に直面すると、日本くらい技術の蓄積もあって、教育も行き届いていて、人口減といってもまだそれなりに人口もあり、また解決者には経済的見返りもあるから、誰かが何とかしそうなものだが、どうも全くその気配が無い。俺の思い込みだろうか。
タクシーに関して言えば相乗り(ライドシェア)の大幅認可はどうかとか、物流ではドライバー等の報酬を上げてはどうかとか、各自色々囀ったりはしているかもしれないが、総体で言えば「どうにかなりそう」な雰囲気は無い。
よって「しばらく現状のままで徐々に、長期間、悪化していく」というのが、統計を取った訳では無いが、大方の予想であろう。
言い換えると、多くの人が(まだ)取り敢えずは「どうでも良い」と思っているという事だ。問題意識はあるにしても今すぐどうこうとは考えていない。他でもない俺もそうだ。
しかし、人手が足りないといっても自動運転とか、ドローンで配送の効率化とか、完全解決とは行かないまでもかなりの延命策になりそうな対案についても、イマイチ世論も盛り上がらない。一体なぜだろうか。
原因は色々あるだろうが、捻くれた俺がここ数十年の日本から要因を探すとすると、元凶(の1つ)は俺を含め多くの日本人が陥った恐ろしい思考、「縮小・清貧・倹約」脳と思われる。ミニマム何とかとかシンプル何とかとか、似た傾向で実際流行っている。SDGとかも同種かもしれない。
以下論拠を書く。
第一に、この思考に囚われると、不便も改革や変化で乗り切るというより、その原理で安価な選択方向に迂回する方に力が働く。
無駄になるかもしれない、費用のかかる、「資金を投入して解決を目指す方法」があったとして、「全くやらない」とは言わないが、成功の保証もないし、倹約とは正反対だし、意欲は出にくい。全体としてこの傾向だと、とにかく進歩的解決の雰囲気は盛り上がらない。
もちろん劇的な価格低下を促すのなら大賛成だろうが、例えば乗り合いサービス提供者が客である縮小思考者を満足させる低価格で、商売を成り立たせるのは簡単ではない。少なくとも最初からそうなるのは難しい。
実際、タクシー業界の規制緩和を主張するのは、ビジネスマンとかよくタクシーを使う人でどっちかというと経済的に恵まれた、タクシー需要のある勢力だ。無駄を省いて地味に倹約重視の方々は低価格とはいえないタクシーは思想に反する。
バス電車ならばまだ受け入れやすいかもしれないが、そもそもみんな乗らなくなったから廃れていっているのであり、需要が充分無いのでは何であれたとえ完全自動化しても採算合わない。
第二に、この思考に囚われていない人であっても、総体でこの雰囲気だと、それに流されてしまう。
需要に応えるための事業拡大や新規運営したとしても、ただでさえ人口減、それに輪をかけてこの縮小思考がある。一時的に手広くやったとしても、その後そんな遠くない将来に結局、需要が縮小していく市場に、積極的にこれから商売しようという動機が生まれるか。他でやる方が合理的と考えるかもしれない。
縮小倹約社会は、「やる気のある人」「商売意欲のある人」達を排除する空気を作る。
第三に、仮に規制緩和や技術革新で「ある程度」解決するにしても、既得権益者(社)だけでなく、その他の人々も多くが難癖をつけたり懸念があるとか言ったりして中々進まないだろう。
何でもかんでも心配して、懸念に囚われている人が多いから世の中を変えるような事業とかは批判されたり反対されたりする可能性がある。そして現状維持の力が働く。変革の雰囲気は出てこない。
また、縮小思考勢力は「自分の数字(資産額とか収入とか)」は殆ど伸びない(縮小倹約家計)わけだから、他が資産を大きく増やしたり業界が盛り上がって大金持ちが増えると相対的に貧しくなる。
相対貧困化を避けようとするのは合理的だから、「他の大成功」の可能性は疎ましいと感じて「今のままが良い」という信念に囚われる。すなわち、社会変革的な事業はなかなか前進しない力が働く。
という事で、縮小清貧倹約思考は自己完結で楽しむには良いのだが、普通の住民でもある以上、こういう有形無形の影響がある。多少の変化や格差や悪影響をものともせず社会問題解決を積極的に目指すか、「少しの被害でも変化も好ましくない」から現状維持に固執するか、各自が考えることになるだろう。どうだろうか。