「限界発電所」について考える。
どうでもよいが、俺も人並み?に個人のブログとか投稿とか、時にメディアの記事等を読んだり視聴したりすることがある。
「同じ人の記事」を長期間読み続けている内の1人に「限界分譲地」を題材に、地道に、しかし綿密な調査を続け、記事や動画で発表している方がいる。ちなみに最近運営方針に関し色々逡巡があったようだが、基本的に継続されるという事でファン?の1人としては一安心した。
今や、一般市民には責任者に辿り着くのが、ほぼ不可能で事実上放棄された土地や物件が余りに多い事に、またそういう不動産が、そうは言っても色々雁字搦めで、この先どうにかなりそうな希望が全く無いのにも驚かされる。
で、そこの各記事では、題材的に各地「不(負)動産」の現状をレポートするので、動画写真等を多く目にする。そしてその周辺で「太陽光パネル」が結構設置されている。
最近欧州某国が原発を全て停めたと話題になっているが、今後もし我が国も太陽光を含めた自然エネルギー発電の比率をより加速的に高めようと国民が同意した場合、辺境の山林、休耕地、その他何かの跡地、等々の利用可能な多くの場所に数多くの「太陽光パネル」が設置されるかもしれない。
計算は色々あるだろうが、今の数十倍か、何百倍とか、それ以上か、とにかく「非常に多くなる」と考えるのが自然だ。実際現在でもグーグルマップで見ると、首都近郊でもパネルに埋め尽くされた山林や跡地の区画などを容易に見つけられる。市街地から離れれば余計に多くなる。今のその状態でも全然炭素中立には程遠いから、中立達成の為にはこの現状から激増する。
既にここで問題になりそうだが、あくまで再生可能エネ中心と国民が納得しているなら一応良いとして、発電事業者は当然、不動産事業者と同様「商売」でやるから、長く生き残る会社もある一方、経済環境や経営手腕によって事業が行き詰まる事も当然出てくる。
不動産や造成された土地の場合、もし事業者や所有者が破綻したり維持が難しくなれば、残されるのは放棄された無残な物件や土地だ。
同様に発電設備も、業者が破綻すれば無残な削られた山林や休耕地が残るだけでなく、沢山のパネルも残されて誰も処理できなくなる。実際、「限界分譲地」のあるレポートで放棄された発電施設があった。それも信じられない様な立地と規模だ。
金儲けできそうなら先の処理をそれ程考えないで行動するのが人間、そして仮に事業が苦しくなった時、今後問題になるからと敢えて「発電施設を物理的に処理、更地にしてから商売をたたもう」などとは考えないのも人間だ。家に数枚つけたパネルとは処理量が違うから、規模によるが多くの板の処分は格段に難しい。
また物理的な問題に加え、所有者や管理者が不明になるというのは限界分譲地と潜在的に同じ問題だ。いうなれば「限界発電所」となってしまう。
持ち主が管理を長年放棄して周囲に深刻な迷惑をかけている一軒の空き家でさえ取り壊し処置は簡単には行かない。日本各地に何千何万と「限界発電所」が出来たら、一体どうなるだろうか。従来型の電力供給を維持したほうが良いのか。それとも、電気需要はあるから、他の資金力のある事業者が「限界発電所」を取得買収、再整備して使用するだろうか。
俺は電力の専門家ではないからこういう大きな問題の是非は分からないし、怒られてしまうかもしれないが正直どうでも良い。民主的、自由経済の論理で決められる限り文句を言わず、それに従う。
ところで、もし超富裕層だったら、これをどう考えるか。
まず、仮に不動産を買うにしても、限界発電所が出来そうな地域には買いたくない。
また、上記含め電力供給には今後も問題山積、だから日本ではしばらく電気料金は上がる傾向を維持しそうだ。となると国内活動が中心の内弁慶会社には投資したくない。
そして、電気代がとても高い社会では消費活動・経済活動が縮小すると考えられるから、ここで「敢えて日本に投資を始める」ような外国企業は要注意だ。
バークシャーは最近商社株をたくさん買っているらしいが大丈夫か。近いうちに株主総会があるから質問したいが、英語が問題だ。どうだろうか。