格差問題:相続税について考える。
先日、「親ガチャ」について投稿した。
今更だが、どうも「親ガチャ」という言葉が持て囃されて?いるようだ。本日はこれについて考える。「親ガチャ」の定義については、間違えているかもしれないが、本稿では「人生(の成功)は努力では無く、運(遺伝子等)によって決まる」という事で、話を進める。身も蓋もない話ではあるが、学歴や収入などで、統計的に有意らしい。「ガチャ」とは、何が出てくるか確証はないが、「カプセル」に入ったおもちゃ等の商品を決まった価格で買うための機械、またその「商品自体」の事を言う。欲しいモノ、良いモノ、またその逆で欲しくないモノ、何が出てくるかは「運」とされているから、「親」を選べない、「どの親に当たるかわからない」子供からの見方をこの、「(ほぼ)運だけの遊び」である「ガチャ」に見立てているらしい。間違っていたら申し訳ない。
強運の中でも多額の遺産相続というのは究極例の1つだ。だって遺伝子がどうとかは統計的に有意かもしれないが、実際自分の幸運がどれだけか計るのは難しい。しかし相続人になるには普通は血縁(遺伝子)、そして実際に資産相続ができる(金額を計れる)。つまり運が良ければ、ある時一気にある程度の資産形成を達成できる。まさに遺伝子のくじ引き当選だ。格差拡大の一因かもしれない。
しかし、間違っているかもしれないが、素人の俺が思うに、相続税制度が格差是正に有効なのか疑問だ。
まず、所有者がいなくなった資産というのは、血縁相続にしろそうでないにしろ、どこかに結局、移転される。高税がかかっても、移転先の富が増えて、その他と格差が付くのに変わりはない。つまり格差は維持される。
また、慈善事業とか教育機関なら良いというかもしれないが、問題無い組織という保証はない。血縁者がその組織を経営しているかもしれないし、そうでなくても組織の内部待遇改善に使われて、結局関係者達だけが潤い、その他と格差が広がるかもしれない。思い過ごしかも知れないが、慈善団体とか教育機関とか、他の組織と同様に職員による使い込み的な事件がよくある気がする。また、相続税が特別高率なために、相続でない資産移転に見せかけた、実質は相続である移転が横行する。
そして、真の相続だけを狙い射てれば良いのだが、世襲で資産が引き継がれている例も本当か知らないが結構聞くから、実際はそうなっていない可能性が高いし、「相続判断」は難解だ。例えば大資産家Aが血縁でないBに株式を個人間で無償譲渡されて、その後すぐAが死んだとする。A、B共には相続じゃないと言っているとして、どうやって証明するのか。本当に相続じゃないかもしれないし、実際は血縁者が影でBを操っているかもしれない。手間をかけて裁判とかで証明できるかもしれないが、そういう相続対策よりも、相続自体は単純な制度にして、歳入(税収)により効果的な部門があればそちらに手間をかけたほうが良いだろう。
いずれ相続人が売却益を出せば納税されるわけだし、あとは資産移転・資金移動には経済に支障が出ない程度に単純な制度で、消費税程度に薄く広く納税させる位で良いのではないだろうか。でも反対が多くて非現実的だから、結局今のような相続税を微調整しつつやっていくしかないかもしれない。どうだろうか。