職場のユルキツについて考える。
唐突だが、数日前に「ユルイ大企業を去る若者、ホワイト過ぎて離職、”働きやすい”のに不安」という記事があった。先日投稿した日本独特の「会員制」会社員制度にも関係しているかもしれない。
捻れた「ジョブ型」概念から分かる、「会員型」の厚遇-超富裕層の研究
今更だが、「ジョブ型雇用」というのがよくネットでも取り沙汰されている。数年前から、単語として急に検索されるようになった。次々に大手企業、有名企業等が「ジョブ型雇用を開始する」みたいな報道が現在も結構多い。「ジョブ型」と急に?言われても俺は今でもよくわからないが、調べた限りでは、どうも「職務記述書」で職務をハッキリと労使双方で決めておいて労働契約を結ぶ事らしい。間違っていたら申し訳ない。「ジョブ(job)」というのは「仕事、職務」という意味だから、「ジョブ型雇用」というのは直訳すると「仕事型雇用」「職務型雇用」となる。あまり日本の労働に詳しくなければ、乃至日本で働いた経験があっても雇用契約に詳しい人でなければ、これを聞いて「では今までは何だったのか?」と不思議に思う。そしてもっと混乱するのが、「ジョブ型」は新しい形態であり、今までは「メンバーシップ型」だったという。
「ユルすぎる職場」が「ホワイト過ぎる」とすると、「キツすぎる職場」は「ブラック過ぎる」ということになるのだろうか。という事は、ちょうどよいのは「灰色企業」なのか。これから日本はその中間である「グレー企業」の時代が来るのだろうか。
俺の気のせいかもしれないが、最近急速に変動している為替相場における「円安」と「円高」や、物価に於ける「インフレ」と「デフレ」でも、この「ユルい職場」対「キツい職場」でも、どうも日本というのはどっちに行っても文句を言う人が多い。ちょうどよい所をピンポイントで撃ち抜かないと批判されやすい。つい数年前までデフレで多くの人が嘆いていたのにインフレ傾向が加熱し始めるとそれはそれで困るという感じになってくる。
それはいいとして、求職中の俺が言うのも何だが、職場における「ユル」と「キツ」の単純線形比較で評価はほとんど意味がないと思う。なぜなら、別に「ユルい」会社でも働きがいのある会社はある(だろう)し、「キツい」会社であっても働くに値する職場だってある(と思われる)。俺からすると「ユルい」職場でなおかつ「待遇が良い」会社、職場が一番良い。そういうところで働いていても、不安だから「キツさ」を求めて転職する人が多いのだろうか。
そもそも「キツい職場」だからといって、「社員同士が激しく切磋琢磨している」といった感じの印象?通りとは限らない。大体「キツい」というのが何を意味するのか曖昧だ。理不尽なノルマを上司から課されるとか、心身の健康に影響があるほどに残業させられるとか、そういうのは「キツさ」とは関係なく単に違法である恐れがあるから問題外だ。
また、一見「ユルい」職場であっても、不当な既得権益やそれまでの蓄積頼りでなく、事業を普通に行って利益を出しているからこその高待遇なのであれば、それは「普通の(良い会社の)職場」だろう。地道に商売して結果が出ているのに、経営者としてもそこを無理やりキツく締める必要はない。「普通」に経営すれば良い。俺はできれば「キツい」とこより、こういうところで働きたい。
だからそういうのは除いて、冒頭のような記事は、「国際的な競争にさらされ、また社内でも国籍など関係無く完全実力評価」みたいな会社が「キツい」職場を提供していると仮定する。つまり競争がキツい(激しい)というわけだ。
でも、また「個別競争力がない」俺が言うのも何だが、その「競争が激しい職場」というのは所謂「普通の職場」では無いだろうか。
つまり、ユルからキツの移動の積りでも、総合的に見れば「普通」から「普通」の移動に過ぎない。転職の際は、職場のユルキツなどというくだらない条件より、もっと他に注視する点があるだろう。どうだろうか。