「自社株買い(Stock Buyback)」について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、米国大統領が「予算教書」演説の中で、「自社株買い」への規制に言及した。他にも富裕税の詳細など興味深い提案があったが、本日はこの「自社株買い」を題材とする。
まず、「自社株買い」は「合法的」な企業の経済行為だ。どうも批判されることが多いようだが、現段階では特に法的問題は無い(と思う)。ただ状況によっては経営上の問題になりうる。例えば、それほど儲かっていない、あるいは赤字なのに無理やり自社株を買うのは、会社の存続を危険に晒すので必ずしも良いとはいえないし株価対策と断定されても文句が言えないかもしれない。
では、普通?の「自社株買い」はなぜそれほど目の敵にされるのか。
色々背後関係があるだろうが、究極の理由は、「自社株買い」で利するのは「株主」つまり「資産家」とか「富裕層」等のいわゆる「金持ち」のはずだから、そういう連中を優遇する措置はいただけない、もっといえば腹立たしい、さらに言えば許せないというところだろうか。実際、日本でも「稼いだお金を株価のために使ってしまうのはどうか」という質問を国会でした議員が最近いた。
また、節税になるという説もある。俺は詳しく知らないし本当かどうかわからないが、仮にそういう場合があるとしたらケシカランという意見もあるかもしれない。しかし自社株買いが合法的な節税処理だとすれば、何が問題なのか。
もし仮に「自社株買い」反対の根拠が「株主優遇だから」だとして、仮にその「非難」「批判」をかわすため敢えて株主以外を「優遇」するならば、大変無理がある。なぜなら、事業から売上を得てそこから人件費など様々な費用や税金を払って、将来の事業のための投資や借金の返済の一部に使ってその後残ったお金をどうするか考える時、株主以外誰を優先しても変だ。国民全体か。それとも株を持っていない人か。とにかく株主より先に来るものがあるとして、ではそれは何か?そして、その「何か」を「誰が」決めるのか?
もしその「誰か」が経営者で、その「何か」の決定権があるとして、「配当ができなくなってもいいからまず寄付をしましょう」とか、「社屋の周辺を整備してもらうために今年は自治体に上納しましょう」とか言い始めたら、経営がおかしくなってしまう。そんな経営をする会社の株を買う奇特な人はあまりいないだろう。そうでなくても、即座にそのような経営者は株主により排除されるから、結局株主に配慮する経営者が選ばれて、優先する対象は結局株主に戻る。そして自社株買いは単純で手っ取り早い株主還元・優先策の1つだ。
「自社株買いをするお金があるなら、従業員の給料を上げるのに使え」という批判もあるかもしれない。確かに人材が企業業績の源泉だからそれは一理ある。しかし、「自社株買い」の資金というのは普通は従業員に然るべき人件費を払った後の残りでやるのが基本、つまり「人件費の維持・増額の原資を削減して自社株買い」しているのでなければ問題無い。逆に言えばそういう経緯で自社株買いしていれば俺も問題だと思う。
細かい点だが、人件費に使うのは良いとしても基本給とか「維持される」給金の原資としては適さない。なぜなら自社株買いをするような資金が毎年あるとは思えない。巨大ITでも毎年あるとは限らない。つまり人件費ならば業績給的な「一時的」な給付になる。
なぜか風潮として自社株買いが全て問題のような意見が多いような気がするが、本来は上記のような「問題のある」自社株買いだけを取り締まればよい。世界の優良企業が、ちゃんと待遇を維持して、業績伸長を還元もした上で、自社株買いを行うのは問題ないだろう。どうだろうか。