自身の高生産性を賭けた労働人生について考える。
突然であるが、先日、とある業界の厚遇について投稿した。
今更だが、とあるキー放送局が早期退職希望者を募り、結構テレビに出ていた人たちなどが名乗り出て、話題となっている。以前、テレビ局などの放送事業者の優遇について投稿した。件の放送局は他に比べて業績が悪いようだから、労使双方、今このような決断するのも合理的かもしれない。放送局としても、経営判断としては難しい。だが、双方にとってのその是非はどうでも良いとして、今回もう一つ注目されるのがその退職金の金額だ。報道よると、この募集で「退職金による特別損失」として90億円計上し、これに60人程の社員が応募しているとのことだ。つまり一人当たり1億5千万円だ。この金額は図らず?も放送業界がいかに優遇されているかが分かってしまっている。
要旨は退職金額から見た、この期に及んでも続く業界の待遇の良さだ。それはいいとして、このような早期退職者は、数十年という期間に渡る高リスクの賭けに大勝利したと言える。
既知の通り日本の終身雇用というのは、雇用側、会社側が「定年まで雇います」というリスクを背負う代わりに、労働者側が勤務地、勤務内容、待遇については会社に制御をさせるという代償を払う。
普通の人間ならば最初入ったときはそれほど戦力にならず、また定年間際も使えなくなっているだろうから、その間にどこだかわからないが生産性のピークが来ると考えられる。そこで日本の会社は業績のためにこう考える:
若いうちの「高生産性の期間」をなるべく給料を抑えて働いてもらえれば費用が低くなって付加価値が高くなってすなわち会社の設けが大きくなるから、中年手前までは給料を何とか安くして、会社が先に美味しいところをもらってしまおう。その代わり、その後生産性が下がっても職にあぶれないように面倒を見る。だがすぐに若い頃の貢献を払い戻すより、細く長く雇用して、すこーしずつ払い戻して、いよいよ最後定年でこれ以上伸ばせないところまで引っ張って、最後に退職金で辻褄を合わせよう。その方が手元資金として長く持てるから好都合だ。労働者には悪いが、定年で最後の最後までそこにいて初めてペイする構造にしよう。
しかし、冒頭の早期退職は定年まで待たずとも早めに払い戻ししてもらえる。「辻褄金」の額は変わらず時間だけ前倒しになった。これはどういうことか?これは簡単に言うと日本の終身雇用前提の会社が、冒頭のような高待遇で有名な会社でさえ、存続生き残りが厳しくなったのだ。例えば、早期退職というのは囲い込んでおく予定だったのに、最早その方がカネがかかるようになって、しかもそれを維持する余裕も無い(あるいは無くなりそうだと予測している)からこそ、このような予定変更なのだ。つまり、全ての会社の長年の存続というのはもはや幻想だ。
だから、それほどではなかった時代に高生産性でも高くない賃金で使われてきた現在中高年の人達の少なくとも一部は「果たして退職金が貰えるまで会社があるだろうか、あるいは貰えても期待通りの額をくれるだろうか」という不安にかられている。だが、最早自身の高生産性期間は過ぎており、労働市場に出て打開もままならず、雁字搦めだ。終身雇用の賭けは高リスクで運任せになった。そこへ降って湧いたように早期退職で辻褄金でもそれ程割引もされず「上がれる」状態を勝ち取るというのは、新卒以来の数十年の賭け金を無事取り戻した、すなわち賭けに勝ったと言えるだろう。どうだろうか。