電子書籍について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
先日投稿の続き。
電子書籍でもある、有名作家の老害的「区別思考」(1)-超富裕層の研究
今更だが、大昔?から今に至るまで、誰とは言わないが「小説家」を中心に、電子書籍への嫌悪感が出ている言動をする方々がいる。俺はよく知らないが、おそらく漫画家でもいるだろう。興味があれば、調べてみてくれ。 先日のサブスク嫌悪音楽家でも触れたが、第一に、作品をどうしようが権利者の自由だから、他がとやかく
要旨は著作者や制作側からの長短の是非は別として、利用者としては利点が多いという事だった。もちろん利用側にも意見は色々だろうが、いち利用者としての自分の感想だ。
余計なお世話だが、本日は作品制作側の目線で考えてみる。利用者には好都合と思われる電子書籍を毛嫌いする製作者が(一部)いるのはなぜだろうか。
少し前に売れている漫画家が「以前は連載が終了すると収入が突然減るが、電子書籍のお陰で過去の書籍が売れるから、電子書籍の収入はありがたい」と言っていた。これは人気作家でなくても恩恵がある。なぜなら、出版社に紙の本を売ってもらえないような作家であっても、雑誌などに連載してもらえなくても、電子書籍によって直接世に出る機会が得られるからだ。電子的に体裁を整えられれば出版社を経ずに読者にアクセスできる可能性もある。
また、全国津々浦々にまで出店している古本屋による潜在的な購入者の減少を電子書籍で阻止できる恩恵もある。
話が逸れるが、上記を書いていて先日の投稿で列挙した新たな利用者目線での利点が判明した。それは「昔の作品」や「無名作品」「新人作品」等へのアクセスだ。絶版で手に入らないとか、極端に言えば出版社が商売にならないと切り捨てていた作家もいつでも電子的に出版できるし、販売も管理の手間は少ない。付随して古本屋を回っても見つからないという事は電子化で少なくなると考えられる。遠隔地であってもネットで繋がっていればアクセス性は同じなので地域格差も少なくなる。
とにかく、以上まとめると、提供側から見ても、売れていても無名であっても、電子書籍は作家にとっても恩恵があるのではないだろうか。仮に利用者にとっても、作家にとっても、双方恩恵が大きいとすると、需給関係者で反対するのは合理的ではない。しかし一部の(有名)作家は依然反電子的?だ。なぜなのか。
反電子勢力の本心は分からないが、推定すると、まず「反音楽サブスク」投稿でも触れたように、作品を電子化されると配布販売事業者が苦労もせず搾取しているのではないかと敵視しているからだろう。本当の実態はどうなのかわからないが、利用者の1人としてはやはり恩恵が大きく、前述のような有り難いという有名作家の意見もあるので控えめに言って作家側も読者側も以前に比べ搾取されているとは言い難い。仮に事業者が作者から従来型出版よりも「多め」に中抜きしているとしても、その総額よりユーザへの恩恵総額が大きければ、依然として合理的だ。
もう1つはありふれた反対勢力だが、今までの出版・書籍販売業界の事業形態への懐古主義思想だ。出版社、取次、印刷・製本業者、書店等、今までお世話になっていた人達が困ってしまうとか、古き良き世界観が新たな波によって淘汰されて無くなってしまうという反感?だ。極端に言うとITやAIを使って創作者と読者がネットを介して繋がってしまうと、古いやり方で中間でマージンを取っていた人たちは困ってしまう。中間に存在するプラットフォーム所有者が新たなマージン取得者になる。時代が変わればいずれ新たな勢力が出てくる。
細かい点でいろいろ差異があるだろうが、こういう「新しいモノやサービスを受け容れがたく感じる」というのは乱暴に言うと、既得権益者、年配者、老人、余裕のある懐古主義者によって支配されている感情だ。ざっくりいうと老害的考え方と言っても良い。超高齢化した日本人は今までのやり方が変わると困る人が年々多くなるから変化に大勢の人達が反抗する。
また一部有名作家などは余裕があるしそれらの古い人達に世話になっているし助けたいから老害的懐古思考が触発され、そのような老人や既得権益者と共同で珍妙な意見となってしまう。有名作家は金持ちが多くて金持ちは懐古化する場合もあるだろうからその一例だろう。
日本は様々な面で変化が起こりにくい社会だが、反電子有名作家はそれを体現していると言える。つまり、「現状を変えたくない人達」と「余裕があるから変わらなくても良いという人達」が結託して一大勢力となり、社会変革や制度変更などを阻んでいる。どうだろうか。