ロケット「失敗か中止か」について考える。
時機として、ロケット発射の記者会見が俺の「屁理屈脳」を刺激したので本日の題材とする。
騒動?のキモは非常に単純、俺の理解が正しければ、事実関係はこうだ。
- ロケット発射は先日は遂行されなかった。
- 共同通信+それを援護する左翼系言論は「失敗」報道にこだわっている。
- 一方、「失敗ではなく中止」と反論する勢力がいて、対立している。
公式には何が正解なのか?
言語学者でもない俺の意見はどうでもよい。
だが、超富裕層の研究に於いて、「リスクとリターン」は常に考察対象、「発射しない」という決断は「安全(リスク)」に関わるものであったので、こじつけだが「超富裕層研究」で看過せず取り扱うのもアリだろう。
先に結論を言うと、これは「失敗」では無い。そして「中止」以上の、他の良い言い回しは無いので「中止」が正しい。
「危険」「危害」をはらむ事業の場合、いちばん大切な任務は「危機管理」「安全管理」である。ロケット射出だから確率は様々だが、起きうる「重大な事故」は多数予想できる。
だが、その全ての「事前完全阻止」を保証するのは不可能だ。
ではどうするかというと、まずは「重大な事故」に繋がるかもしれない「異常や兆候」をセンサー等で察知した場合、回避策が正常に動作しなかったり、異常からの回復が出来なければ、そこで実行を止めて、現象の原因を突き止め、修理修復して、次回同じ異常が怒らないようにする。
当たり前の対策だ。
もちろん「実行を止める」にもそれなりの「費用」がかかるから、もし異常が起こる確証が無いとかあるいは確率がそれなりに低い場合、実行継続して成功した場合の見返りが非常に大きければ、損得を考えて「見切り発進」でやってしまうという事もあるかもしれない。
しかし「ロケット打ち上げ」では、些細な兆候であっても事故が起こった場合、被害が大きいと考えられるから、何かあったら打ち上げ自体を一旦止めるのが常道だ。逆に言うと「細かいことを気にせず」打ち上げを強行する連中には宇宙事業を委託できない。
共同通信の記者を始め左巻きの人達は、どういう思考回路なのか、ロケットを「対立勢力が支持する技術」とでも勝手に思い込んだのか、とにかく「失敗を責めたい一心」で、このような「安全管理理論」に考慮が及ばなかったとしか思えない。愚かだ。
とにかく、「危機的状況」を避けるため、安全に止まったのであれば、「危機を避けるのに成功した」と考える。
上記「安全管理」構築で充分「中止」が正解の説明になると思うが、いくつか追加する。
まず、もしこれが「失敗」だとすると、例えば鉄道等の「運輸業」で「安全のための運行停止(運休)」があったとして、それが「運輸業務の失敗」になるか。もしそうなら、大雪や台風で運輸業は失敗続きになってしまう。愚かな考え方だ。
あるいは自動車には安全性向上のため様々な仕組みがあるが、もしそれが動作して車が急停止したので、重大事故を避けられたけれども目的地に時間通りに到着できなかったとして、それは「自動車移動の失敗」になるか。なるはずがない。
「安全装置が発動すべき時に動作する」のは失敗ではなく、成功だ。
もし、発動するはずの安全装置が条件を満たしても作動しなかったら、それは「安全装置の失敗」だ。上記の例でも例えば鉄道の安全装置の誤作動等により事故が起きれば、それは安全確保の失敗だ。しかし今回のロケットの場合もそうだが、「安全のために停止」したのだから「失敗」ではない。
また、共同通信の論理だと、例えば「花火を8時打ち上げる」予定が、天候により10時になったとして、8時から10時までは「花火打ち上げ失敗」になってしまう。だが10時に打ち上がった後は花火打ち上げ自体は失敗ではない。成功だ。
仮に10時も見送られて延期になったとしても、「花火失敗」ではない。なぜなら打ち上げを「失敗」したわけではないからだ。「打ち上げを強行」して打ち上がらなかったならまだしも、「失敗決めつけ」が如何にマズいかがわかる。「花火」を「ロケット」に変換しても同様の理論が成り立つ。「8時の打ち上げは失敗だ」というかもしれないが、安全のため見送ったなら、それさえも失敗ではない。
今回の共同通信の「イキり様」は、今後の記事内容の信用性を著しく毀損させるから、会社全体の目標達成にとって、「大失敗」だ。どうだろうか。