少子高齢化の影響は「需要」より「供給」が先について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、タクシー/バス、並びに物流業の「旅客・運輸危機」の報道が多い。
タクシーが来ないとか、バス会社が突然廃業とか、既に「良くある出来事」になり下が?り、直接不便を被る当事者以外は「あぁ、またか」という感じであろうか。北海道、四国、九州だけでなく、「首都圏」や「大阪市周辺」でも減便等起こっており、最早何処でも驚かない。少なくとも俺は驚かない。
俺の実家のある地域は、大都会では無いがそれなりに「市街化」されている。住民は高齢化し、自家用車の利用世帯は少なくなり、小売り商売需要の先細りと縮小で何年も前から「徒歩圏内」スーパーもなくなった。
長距離歩ける屈強な老人以外は、バスが移動の生命線だ。ごくたまに帰省すると、その乗客の高齢化の高速進行ぶりは引いてしまうほどである。序に言うと運転手もだ。もしバス路線が無くなったら、補完候補のタクシーも運転手不足が酷く、「車利用にアクセスのない住民」は買物、通院、等日常で困難を強いられるだろう。
だが、怒られてしまうかもしれないが、超富裕層を目指す俺にとって、あるいはそうでは無くても、どうでも良い事だ。
なぜなら1) 現実的な解決策は無さそうだし、2) だから対策はどうせ「住民、役所、業者に均等に負担を分配しているだけ」の問題先送り対症療法のみだし、3) 痛みを伴う抜本的な試みはどうせ反対されるし、4) 縮小倹約が横行してみんな運輸旅客費用もケチるし、「これらをみんな解決してバス・タクシーを維持するにはどうすれば良いのか」などと悩んでも意味が無い。せめて自分の事は自分で何とかしつつ、家族や親しい人位は手助け出来ればそうしつつ、他の事で悩んだ方が良い。
当事者以外の多くはこんな感じじゃないだろうか?とにかく日本の何処かでバスがまた無くなってもタクシーが来なくても、現段階では気にしない。気にしないのは自分は無関係で安全圏にいるからというのでは無く、いずれ負担がかかるのは分かっているが、心配しようがないという意味だ。
ところで、件のバス報道は例外なく「運転手不足」が原因としている。ついでに言うとタクシーも運転手不足が原因だ。
これは最近皆知っているから普通に受けとめられているが、中々興味深い。
バス路線合理化自体は驚かないし、身の回りにもガラガラバスはたくさんある。
話が逸れるが、先日、とある太平洋岸に近いJRの駅前から、所用でバスに乗ったが、俺以外誰も乗っていない。そしてほぼ同じ道を途中まで別のバスが追いかけてきていたが、誰も乗客はいない。運転手不足とは何なのかと感じた。だがよく考えると、このバスの運転手をもっと需要のある地域に動かすのは難しい。彼ら彼女らにも地元の生活がある。つまりバス運転手全体の数で供給不足を計っても虚しい面がある。
話を戻して、凡人の俺は、バス路線の合理化は「少子化等が原因の需要不足」で起こると思っていた。つまり、需要がある路線は当然維持されると考えていた。需要があれば商売に成り得るから、自然だ。
ところが、需要より「運転手が足りない」という「供給不足」がバス減便、廃業、等々の理由らしい。
少子化・人口減を分析・予測する書籍や論文は多くあるだろうが、最初に住民を直撃するのが「運転手不足」であるとは、予想していた学者とかいるんだろうか。
医療供給の不足もバス問題以前から「既に」問題の様だが、たとえ健康問題のある老人でも、飲料食料、生活用品の購入(のための移動)は通院よりも身近だ。通院もまず病院まで移動が必要だ。素人目で見て「日本の人口変革」が大規模に直接影響したのは「旅客」の、しかも「供給側の不足」に因るものだった。
如何に「少子化や人口減の社会への負の影響の予測」が難しいかという事だ。高を括っていると容易に「当事者」になってしまうかもしれない。
何年か前、北海道の中でも札幌から遠い場所出身の人がこんな事を言っていた。曰く:
JR北の路線がなくなってもしょうがないし、それ程不便とも思わない。そもそも地元でも利用する人が少ない。札幌に出るには、長距離バスを利用すれば良い。
俺も偉そうには言えないが、これなどは「需要があれば維持前提」という概念に囚われている。現に、最近の報道では「運転手不足」により、こういう長距離バスのいくつかが札幌直結で無くなったり、廃便になったりした。需要はともかく、運転手が居ないのだから、どうしようもない。
この例の様に、今後は「需要が有るから誰かがやるだろう」というのは「甘い考え」となってしまう可能性が有る。虫歯治療、メガネ作成、家の改築や、自転車修理、とにかくありとあらゆる需要が世の中に有るが、商売になるから、なりそうだから、競争が激しくないから、といっても業務が維持されない予想もしない分野が沢山出てくると思う。どうだろうか。