
静かな退職について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
唐突だが、国内外で、物騒な事件、世界平和、政局、等々の様々な衝撃的な報道が続いている。
いつもは、そういうのに関して無責任な凡人意見をのたまって投稿して一興でいっちょう上がり等と独りごちているが、今日は自分が最近気になった文言?を題材とする。
「静かな退職」というのを何箇所かで目にした。
退職に「静か」「うるさい」というのも妙だが、「実際に退職する」わけではなく、職場には残りながら、つまり退職はせずに、高評価のためにもっと努力しようとか、より高い目標への熱意を持つとか、仕事のためにある程度犠牲を払うのも厭わないとか、とは対極に「過度に自分の時間資源を使わずに、必要な職務を処理していくといった姿勢らしい。で、その動機は何かというと、「過剰な負担から自己を守る」ためであるらしい。間違えていたら申し訳ない。
平たく言うと、「心身の健康を守りつつ、クビにならない程度にサボる」といった感じだろうか。わからないがその前提で考察する。
まず、自分が労働者である場合の視点で考えると、心身の健康維持というのは何事にも優先する。言い換えればそこへ悪影響があるならばその業務やその他のストレスは避けたほうが良い。
しかしサラリーマンというのは、行き帰りの通勤、勤務中の様々な事象、職場以外の付き合い、等々の心身への「多少の」悪影響は避けられない身分とも言える。それを一般的に「ストレス」と言うとすると、給料をもらうには、どんな場合でも「何らかの」ストレスはある。つまりストレスフリーの仕事などというものはほぼ無い。付け加えると無職では職場のストレスは無いかもしれないが、それ以外のストレスに悩まされる事になる。
つまり、生きていくため(にお金を稼ぐ)には、なんらかのストレスは避けられない。
となると、当然個人差があるが、どれ程のストレスを容認するかの個々の問題となる。過度のストレスは良くないし、心身の健康に悪影響を及ぼすストレスも良くない。しかしそれらを完全排除はできない。だから自分なりにどこかで調整する必要がある。
これは特に最近判明した事でも無く、従って騒ぎ立てる程の事でもなく、要は「各自の自己管理が重要」という事だ。なぜこんな当然の事をいちいち記事にしたり、最近新発生した事象の様に扱うのか。「静かな退職」などというものはネタ切れ連中のセコい商売ネタに過ぎないと思う。
では、「超富裕層を目指している」凡人の俺から見る、投資家の視点ではどうか。
会社に「静かな退職者」が多ければ多いほど、全体の生産性が下がるわけだから、当然投資家から見たその会社の価値は下がる。生産性に影響があるから、いずれ業績に悪影響が出る。静かな退職者がいる会社の株は買いたくない。
投資家でなくても、そのような会社は一般社会から見ても生産性が低いのに税金が投入されている社会基盤を使われているわけだから、価値が下がる。仮にそれを度外視しても、生産性が低ければ法人税額も低く、また賃金も低くなるから、それだけでも相対的に価値が下がる。
また、「静かな退職者」が入社時は意欲があった場合は、何らかの理由で変貌したという事だが、上司、経営陣、ひいては株主として、どのように対処すべきだろうか。
これは俺の乏しい経験からの感覚だが、一度「最低限の業務をこなして、できるだけサボろう」などという思考になったら、そういう従業員が再度やる気のある社員に戻って生産性が上がるという希望は、殆どないと思う。なぜなら、やる気が無いのは周囲にすぐに分かる。そうなるとやる気がある人は離れていくし、やり甲斐のありそうな仕事は回ってこない。はれもの扱いのようになってしまい、そこから這い上がるのは難しい。おそらく余計にやる気をなくすだろう。そういう連中を活かすために会社側が何かを変えるとか、社会構造に問題があるのではとか、周囲が考えてあげるのは実に非合理的だ。
しかもなぜそんなヤツが「静かな退職」とか宣って、会社で生き残るのか。普通に考えれば、やる気の無い社員はサッサと切って、他の人を雇った方が会社のためにも、その従業員のためにも良い。
日本でも世界でも、そのような人員を抱えていても切れない会社は、経営の合理性が著しく欠けている事になり、投資先としては最も忌み嫌われるだろう。
ということで、「静かな退職」などというものは、労働者の立場から見ても古い考えの焼き直しに過ぎず、投資家としても会社の社会への貢献を邪魔する存在でしかない、まったく意味のない無駄な議論だと思う。どうだろうか。