増配の良し悪しを考える。
何の専門家でも無い、超富裕層を目指す 無職 凡人の考えの1つとして真に受けずに疑って読んでくれ。
本日は増配を題材にする。
以前、配当について超富裕的を目指すための、俺の勝手な思考を書いた。
今回はその配当に関連し、増配を考える。
増配があると、
「いつもより、配当金がもらえて嬉しい、良いことだ」
と感じないだろうか。まぁお金を受け取るわけだから、そうなるのは自然だ。
だが、超富裕層をめざす俺には罠だ。なぜなら、偉そうに色々言っているが、俺もいざ貰うとなると、「収入が増えて嬉しい」と思って、配当思考に陥ってしまう。しかし、経営陣が、次のように思っているのではないか?と低俗に疑うこともできる:
「ガハハ、総務部長よ、株主が色々うるさいから、目眩ましに増配でもしておけ、ちょっとでいいぞ。(あと売れない商品も優待で送っとけ)。今期は良くない決算だがそれで乗り切ろう。総会がそれで煙に巻こう。それで無事終わったら、また飲みに行けるなぁ」
あるいは:
「うひひ、常務よ、専務よ、いつも細かい事を言う株主達も、増配を続けると大喜びだな。今期は充分10円増配の余裕があるが、どうせなら今期も1円だけにしておいて、うすーく1円ずつ5回位、増配する原資にしよう。その方が結局5円も節約できるし、連続増配原理主義の連中を黙らせる事ができるな、マスコミの覚えもめでたくなるぞ」
いやー困ったものだね。
一応念を押すが俺の想像上の話だ。だが俺の勝手な考えでは「如何にも経営者が考えそうな事」だけれども、実際にこういう経営者がいたという証拠はない。いたとしても本人は白状しないだろう。でも本当にいないかもしれないな。わからない。
とにかく、増配は快く受け入れる株主が多い。並業績で配当同じなら普通、下手すると低評価されてしまうが、同じ並業績でも増配なら好印象に変わる。だが、増配は業績や成長率とそれほど相関が無いとは言わないが、少なくとも強く相関あるとは言えない。究極、他の要素や決算数字に関係なく、経営陣のさじ加減だ。
しかも、何十年連続増配中とかになると、一度でも途切れると大騒ぎ、問題視されるから、企業に余計な、不必要な圧力になる。毎回同じ数円増配するのは連続を意識する以外、根拠がない。10年も続けると、今更やめられなくなる。
収益を「想像できなかった事態に対処するための準備として持っておく」とか、「成長するための投資に使わない(使えない)」企業というのは、成長計画が杜撰か、現状維持で精一杯か、変化に対応できてないか、上で書いた株主への目眩ましじゃないか、等々の疑念で経営陣を、俺は信用できないとは言わないが、能力を疑ってしまうのだ。
あと細かい点だが、増配されてもその一部は納税するのだ。生活に困ってなければ、その分は企業に保有しててもらって、あとで貰った方が節税効果がある。
唯一問題無いとすれば、連続で高収益達成、危機への準備も充分、大型買収資金もある、従業員も給料も上げた、成長への投資資金も充分確保、自社株買いも可能な限り実行、それでも余剰金があってどう使うか困ったなぁという会社だ。そういう会社はいくつかあるだろうが、そんなに沢山ないだろう。そしてそこは良い投資先の候補になるだろう。
超富裕層を目指す、俺の投資計画では、配当は上記のような超余裕成長企業からだけで良い。投資先が配当や増配を始めたら、少なくとも成長重視の超富裕層を目指す視点だと、要注意だ。どうだろうか。