
日本人の「総乞食化」と「既得権益」について考える。
突然だが、物価上昇の報道が多い。これを本日の題材とする。いつもの通り以下全て俺の素人考えである。ケシカラン意見や稚拙な論点、どこかで多くの人がすでに指摘済みであるとか、あるだろうが凡人の独り言として許してくれ。
さて、物価とはその時点で「通貨(日本だと円)に換算するとしたらいくらになるか」だとすると、価格上昇は要は円の価値が相対的に下がったという事になる。
日本では、生活で必要なもの(例えば電気、ガソリン、米、衣料等々)はひと月前と品質はほぼ同じであるとすると、単位量あたりの価格が上がっていれば円の価値(価格)が下がっただけの事だ。
円の価値は上下する、つまり物価は上下するのが普通だから、極端でなければ騒ぐ程では無い。しかし生活に影響がある程に感じる人が増加しているらしい。そしてそれは社会や経済環境が少なくとも部分的には、原因かもしれない。
確かに長期短期の失政の影響とか、硬直した制度の問題とか、格差拡大とか、給料を上げてくれない会社とか、色々問題はあるだろう。
だが、卵が先月より1個あたり5円あがったとか、ガソリンがリッター10円上昇とか、家賃が次回更新から月数万高くなるとか、それらが諸々で年換算で何十万か何百万か追加で必要になるとして、自分でない誰かがそれを補助補填すべきだろうか。またしてくれるだろうか。環境依存解決を考えてみる。
第一に、身近な環境といえば、労働者なら雇用主だ。
「家賃が上がったので給料を上げてくれ」「子供の教育費が嵩むからボーナスが欲しい」という理屈は通用するか。
これが通ったらほぼ際限無く人件費が上がりその会社は直ぐに立ち行かなくなるし、大体株主がそれを許さないから、通用しない。
第二に、地方自治体や政府に解決してもらおうとするのはどうか。納税や選挙があるから、圧力もかけやすい。
しかし現状不変で公的補助だけ配られたら問題は解決するのか。普通に考えればただお金(円)が配られるだけでは、円の価値が下がるから相応に物価が上がるので、超短期では経済に刺激となるとしても、解決には程遠い。
第三に、物価高の主因が円安だとすれば、政府や日銀に円を高くしてもらえば良いのか。そもそもそのような制御は可能なのか。
これまでの世界の歴史を見ても、為替レートを政府や中央銀行の期待に沿った制御はとても難しい。少なくとも想定範囲内にずっと維持するのは無理だ。
ここまで纏めると、社会構造や勤務先へ自分の都合良いように変化を求めるのは気持ちは分かるとしても、やはり頼りになる、実際の変化を産み出せるのは自分だけであろう。
上記では第一に於いては、報酬を上げてほしければ自分の生産性を高める。
第二点では自分だけでは難しいが給与所得者であればその勢力に馴染む政党に投票するとかだ。
第三については、円が不安となれば他の通貨、貴金属、暗号通貨、等々に分散投資できる。そもそも日本人は多くの資産を円で持っている。自分の意思でそうしているのに、その価値が下がったら何とかして欲しいというのは不自然だ。
という事で自分のできる範囲で行動するのが合理的だ。実際、多くの人がこう行動していると思われる。
だが、それに加えて深刻なのが日本人に浸透している「倹約縮小貧乏思考」だ。
消費者は長い間のデフレの影響か、低価格に慣れて「貧乏思考」が染み付き、低価格が既得権益になった。以前より「少しでも」価格が上がると不満に思う(環境の所為にする)度合いが強まった。
倹約どケチを極めながら、自分は円で貯金して生活防衛している間は、モノの値段が高い、サービス価格に見合わない、と感じてしまうのは、因果応報というか倹約思考がアダとなって自分に返ってきている現象だ。なぜなら円集中で資産防衛できてないし、もっと重要なのは、自分の生産性も回り回って低価格評価されているからだ。
それが如実に出たのがWBCの有料放送の報道とその反響である。
地上波で無料視聴が「既得権益」化しているので(もはやこういう時代だと諦観している人もいるだろうが)、多くの人が文句を言っている。また、以前サッカーの放送でもあったが、「なんとかして日本戦だけは地上波放送を実現させてほしい」という「乞食主張」が罷り通っている。Netflixの有料会員や株主にとってはとても受け入れられない。どうだろうか。