議員定数と少数意見について考える。
今更だが、政局で議員定数削減の賛否が論議されている。国会では自分達の議席に(悪)影響が大きい政党は当然ながら反対している。これを題材とする。
まず、超富裕層を目指すケチな投資家としては、特に意見、是非、好き嫌い、等々は無い。なぜなら投資家にとって直接的な余波は想像しにくい。
では、普通に見てどうかというと、定数削減への反対意見は俺の屁理屈視点ではほとんど詭弁に感じる。反対するなら根拠としては今挙げられているより他を考えた方が良かろう。以下屁理屈論拠を説明する。
確かに、多数派の意見だけでなく、少数勢力の事も考慮された政策というのは好ましいかもしれない。
しかし、考えてみるとこのような綺麗事は屁理屈が通らない。
まず、国民すべての少数意見全てに配慮するなどというのは理想論で、すなわち不可能で、妄想だ。なぜなら意見というのは普通は相容れないものがあるから、意見が通らない勢力が必ず出てくるからだ。
日本には対立する論点が憲法、外交、経済、教育、エネルギー、様々「N」点あるとして、それぞれに対立意見が「K」ずつあるとすると、組み合わせにより「N ✕ K」 種類の意見がありうることになる。日本にはNもKも、「少数意見も全て考慮すれば」無数にある。すなわち、議員数によって少数意見を網羅するのは最初から無理がある。N ✕ K が1万あって国会議員数が700ならば、9300以上の勢力の意見は考慮されにくくなる。
そこを調整(意見の取捨選択、優先順位の決定)するのは多数決で、民主主義は(今の所)それに基づいている。全員を満足させられないから、「できるだけ多くの人」の意見を聞く構造だ。
従って、「少数意見というのは多数意見より軽視される」というのが現状の宿命で、多数決で決めているのに少数意見も取り入れろというのは矛盾している。多数決原理と矛盾してしまう。
また、議員というのは多数決で当選する。少数意見を取り入れる程落選の確率が高まり、自己矛盾を起こす。
ここまでをまとめると、少数意見の尊重というのは、民主主義や多数決とあまり相性が良くない。
だが、少数意見を全く無視するわけにもいかないから、どの少数意見を、どこまで取り入れるのかが重要になる。そしてそれを決めるのもまた基本、多数決となる。
となると、どこまで行っても多数決、結局多数意見が重要だ。民主主義だから当然だ。だから、屁理屈かもしれないが、問答無用で少数意見を尊重しろと叫ぶのは非合理的だ。
また、定数削減反対の根拠として、「日本の人口あたりの国会議員数は多くない(人口100万人あたり5.7人)」という主張がある。
実際、米国よりは多い(人口100万人あたり1.8人)が、多くの先進国(例えば英国は人口100万人あたり11人、ドイツ8.2人など)より日本は確かに少ないらしいので、一理ある。
だが、「国会議員」はそうかもしれないが、日本には「地方議員」はそれなりに多く(日本の地方議員は、都道府県議会で2870人、市町村議会で57300人、で合計約6万人。
アメリカは17万人強、英国は22000、ドイツは18万人強)、また報酬も諸外国より比較的高い(日本は一人あたり年660万円、英国は地方議員の報酬は73万、ドイツはほとんどが50万円程度、仏は地方議員数が50万人と多いが、ほとんどが無報酬)。
彼ら彼女らに中広域行政の仕事を割り振って、国会では「外交安保、憲法、経済政策」等々に集中すれば700人も国会議員は必要無いという見方には一定の経済合理性があり、資産家や投資家などは賛成が多いと思われる。逆に言うと、日本では地方分権が充分進んでいないという見方もできる。
参考リンク(注:webarchiveなので読み込みが遅い可能性があります)
https://web.archive.org/web/20250430105456/https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29586
https://web.archive.org/web/20221012160028/https://www.news-postseven.com/archives/20150417_316214.html?DETAIL
ということで、少数意見が考慮されないといった反対意見は聞こえはいいが非合理的、また国会議員が少ないというのも反対のための反対とも言える。どうだろうか。

