隠れ拝金主義について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、俺は説教が嫌いだ。好きな人はあまりいない。
散々偉そうなことを俺自身が宣ってきていてこんな事を言うのも何だが、説教じみた文章を読むのも嫌だ。お前は何様だと思ってしまう。相手がいくら権威があっても、あまりに説教じみていると、尊敬の念も失せてしまうだろう。俺も説教じみた事を言ったり、書いたり、しないようにしたい。
富裕層・超富裕層とか、富豪とか、資産家とか、とにかく拝金主義者と見られがちな人達は、その資産額が大きいほど、「そんなにお金儲けばかりしてどうするんですか。世の中にはお金より大切なものがありますよ」的な非難というか、説教じみた文章で対象になるのを目にすることがある。
そんな事、言われなくても分かっているに決まってるじゃないか。
そういう「間抜けな文章」を書く人は、本気で超富裕層などの資産家は「お金が何より大切だ」と信じ込んでるとでも思ってるんだろうか。俺はそういう思い込みの人が、逆に拝金主義者だとさえ感じてしまう。「富裕層や資産家は、きっと金が一番大切に違いない」という陳腐な思い込みが、自身の「拝金主義者の貧しい素養」を図らずも露出させてしまっている。つまり、そういう発想が安易に出てくるという事は、その人は今金がないだけで、一旦何かの拍子で裕福になると拝金主義に転向する可能性がある。
そのような隠れ拝金主義者の類型に、「隠れ出世主義」みたいなのもある。「そんなに社会での競争や社内の出世を頑張りすぎないほうがいい、勝敗はもっと他の大切な事できまるよ」みたいな文章を読んだことがある。
出世競争に鎬を削る社会人達は、そんなのは百も承知だ。
激しい競争を戦っている人達は、「それ(出世)以上に大切な物がない」と確信しているとでも言うのだろうか。勘違いが酷い。「出世に必死の人達は出世が一番重要に違いない」という愚かな推測が、自分の「出世原理主義者の稚拙な素養」を意に反して目立たせてしまっているのだ。自分が出世していないという僻みもあるかもしれないが、そんな安易に他人の出世第一を疑うという事は、きっと自分が昇進すると出世主義に転じる可能性がある。
拝金主義にしても出世原理主義にしても、何兆円も稼いだ人とか、何万人の組織でスピード出世でトップに立ったとか、極めた人が「人生お金じゃない」とか「出世なんてどうでもいい」と言うのならまだ、価値があるし、その先を一応聞いてみるべきかもしれない。だが俺調べだが、この種の「説教」と戯れるのは、決まって金儲けも出世も中途半端な年配、老年だ。歳を取って大切なものが分かってきた体でそのような構成になってしまう。俺は疑り深いから「自分が達成できなかったから、負け惜しみが入っているのでは?」とゲス推理してしまう。真実は闇の中だ。
そもそも、お金や出世より大切なものがあると宣うのは戯言として良いとしても、そこから演繹的に金稼ぎや出世を否定するのは間違えている。これらは排他的とは限らない。なぜそれよりも大切なものがあるからと言って、諦めなくてはいけないのか。優先順位があるだけで、双方の目標を目指すのは両立できる。でないと、万事目指すのは一つだけになってしまう。そういう場合もあるだろうが、それならその根拠が必要だ。
皆も、このような説教じみた駄文に出会ったら、書き手の「隠れ拝金主義」「無意識出世が大事思想」等が見え隠れしていないか、俺の投稿も含めて、注意して読んで、騙されないようにしてくれ。どうだろうか。