自然と戯れる趣味について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、キャンプや登山が流行っている。
凡人求職中の俺も、人並みにキャンプに参加したり、それなりの高い山に登ったことがある。世間では、なぜこのような余暇の過ごし方に人気があるのだろうか。
俺自身は現在全く興味がないし今後もやらない。しかしキャンプにしても手短なハイキングやBBQも大人気だ。それなりの僻地へ好んでゆくのだから、事故や災害等の危険度を凌ぐ、何らかのプラス理由があるはずだ。
名声のためにと公言して難解なルートに挑戦する登山家がいれば、正直で大変好感が持てる。あるいは好奇心で高いところに行ってみたいからというのもわかりやすくて良い。しかしネット等では「自然と触れ合う」とか「独りになれる」みたいな事をよく読み聞きする。まぁ煎じ詰めるとこの2つが人気の理由かもしれない。それらしい理由だが、疑り深い俺は「そんな哲学的に脚色しなくたっていいのに」と思ってしまう。
だって、自然って言ったって、ナミブ砂漠とか中央アジアの見渡す限りの荒野とかカナダの北極圏でキャンプやハイクするなら説得力あるが、キャンプで行くのはせいぜい隣県の裏山の中とか河原とかキャンプ場だ。文明の影響が充分及んでいる、人間の都合が混入した不自然な自然だ。しかもキャンプや登山するとなると必ず居心地を良くしたり行動しやすくするために現地で多少の細工をする。厳密に言えば自然破壊だ。自然を愛するキャンプ愛好家のはずなのに、矛盾している。
そもそも自然といえば周囲にいる害虫、害獣、スギ花粉だって自然の一部なのに、そういうのは忌避して自分の都合の良いものだけを選別して楽しもうとするなど反自然だ。だから俺は自然が良いからとかいうキャンプ愛好家とか登山趣味者は冷めた目で見る。彼らは自然を楽しんでいるというより、自然と人工的に戯れているだけという側面が強い。
また、「独りになれる」というのも疑わしい理由だ。だって独り暮らしなら結構孤独だ。独り暮らしじゃなくても自分の部屋があれば独りになれる。公園とか海岸だって時間によっては相当孤独感を味わえる。大体普段そんなに周囲から邪魔されているのか?俺が思うに人混みでさえ皆、特に他人を気にしてないから、単独行動なら孤独のようなものだ。
しかも山中深く独りキャンプで孤独を楽しむと言ったって、普通は半径数百メートルとかせいぜい何キロ先かには誰かいるのだ。タクラマカン砂漠で周囲数百キロ誰もいなくて孤独だとか、太平洋の真ん中のヨットでどこの大陸へも数千キロで一人ぼっちとかが真の孤独じゃないか?文明にいざという時の安全を頼る独りキャンプ愛好家も孤独感を疑似体験しているだけの側面が強い。
ではなぜキャンプ登山BBQ等が人気なのか?
俺が思うに、それはお手軽に「非日常感」を疑似体験できるからだ。
人間の都合の良い環境にしても、キャンプで森林の中とか、登山で険しい山肌とか、BBQの屋外料理とか、釣りで河原とか、狭い自室や家、会社等の日常からかけ離れた環境だ。辛い仕事や家庭関係など、悩みや問題の多い社会生活からのいっときの逃避、それがこれらの「自然と戯れる」趣味の醍醐味だ。つまり苦労も多い日常のストレス発散だ。だからお手軽登山とか疑似孤独キャンプとかを趣味にする人は、正直にストレス発散で行っていますと言えばいいのに。
この種の趣味が流行るというのは、人々により大きいストレスがかかっている副現象だ。みんなも今後「自然愛」や「孤独厨」趣味を語る知人がいたら、あぁこの人も日々のストレスに悩まされているなと、慈悲の目で見てあげてくれ。どうだろうか。