真に受けずに疑って読んでくれ。
本日は配当を題材にする。俺は資産管理とか金融の専門では無い。無職 凡人の考えの1つとして読んでくれ。
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配当〜。配当〜。株買ってハイトゥー〜
あー配当配当、早く来い配当〜、もっと出せ配当〜
バイトゥよりハイトゥー、ロウドゥよりハイトゥー、
明日は総会、企業の回答ゥ、みんなで拝聴ゥ〜
無配の台頭ゥ、潰せば最高ゥ、ハイトゥの遂行、遂行ツイコ遂行ゥ〜
( The High Tones「配当ブルース」より抜粋、作詞・作曲:調布 有 copyright (c) Yu Chofu)
人生は、「損得」岐路での選択の連続でできている。
( 「調布 有の名言」 copyright (c) Yu Chofu )
突然だが、「真の超富裕層」?を目指す、俺たち夫婦の配当はどれ位だと思う?
もしかしたら純資産額がたくさんあって、、x%でも数千万円位はもらってて、その配当金で贅沢三昧と思うんじゃないか?
それには程遠い!!!!
がっかりした? でもホントだ。まぁ有子さんはそれなりに配当収入があるが、世帯で「豪遊」を続けるほど配当収入は高くない。
なぜなのか?それはウチでは「結果論」なのだが、配当の有無や高低を条件に投資しなかったからだ。今後もそれほど重視しない。
俺達夫婦にとって、配当依存度が高い程、生活の維持に不安が伴い、また配当を重要視する程、未来の目標未達、希望を下回る可能性が高まる。配当人生というのは、損得が割に合わない気がする。
まず、配当額というのは出す方の都合で決まり、制御できない。つまり配当依存度が大きい程、生活の維持もその都合次第になる。会社方も配当を出すのが営業目的では無く、他に優先順位が高い目標がある。
大体、生活の安定を賭ける程、配当方針を信用できるのか?それも長期間?
いくら素晴らしい会社でも、突然無配当に方針転換するかもしれないぜ。別にそうなっても、その会社が成長を見込んで配当じゃなくて再投資するなら、株主・会社双方からしても合理的じゃないか。「配当依存の俺の生活はどうなる」と株主総会で言っても通用しない。大株主ならそれをやる人もいるが …
依存度は低ければ低いほどいいね。できればアテにしない方がいいよ。まぁ俺も偉そうに言ってるけど、すこーし期待しちゃってるから、できれば「出してくれたら使うけど、次はもう無いだろう」位に備えるよう、心掛けるよ。具体的には、配当が無くても、ある程度は生活が維持できるよう、収入と出費を調節する。
とにかく、配当は制御不能。大懸念だ。「生活にこの程度の配当が必要だ」と逆算すると、配当額が投資の条件になってしまう。長期の株価の上昇と配当額には関連が無い(と思われる)。良い投資の機会を失う。もちろん、配当を重視する投資手法も良いという意見もあるから、この辺はそれぞれだが、超優良企業でも多くの会社が無配であるから、俺としては投資先から排除したくない。
配当で投資機会損失。大大懸念だ。
他にも有る。例えば配当には税金がかかる。その他も興味があれば調べてくれ。
もちろん配当の良さもある。例えば株を売却せずに収入になる。定期的で永続する収入もある程度は見込める。配当金で自分で他に投資できる。
陳腐な言い方だが、大切なのは目的のための効率をよく考えることだ。
俺たち夫婦は一応、資産額の拡大をまだまだ目指す。配当は全然いらないとは言わないが、過重視は投資機会損失の可能性が高くて、割りに合わない。
しかし例えば「もう殖やさなくてもいい、生活維持できればいい」の様な目標だと価値安定、高配当が良いかもしれない。