若年セミリタイアはどれだけ(非)合理的なのか

2021-06-08 投稿

その他

若年セミリタイアについて考える。

何の専門家でも無い、素人視点なので真に受けずに疑って読んでくれ。


今更だが、若いうちにサラリーマン辞めて、経済的な自立を、節約生活しつつ、労働を否定的に見て、一生不労生活で目指す(定義は様々)のが普通になってきた。ここではそれを「若年セミリタイア」とする。

生き方は自分で決めることだから、善悪や正解は無い。若年セミリタ生活を実現している人はたくさんいて、そういう皆様を尊重する。

だが、そういう方々の成功体験の文章を読むと、正直しっくり来ない。何か引っかかる。放っとけと言われるかもしれないが、失礼承知で俺の考えを書く。変な意図はない。まだ考慮中で判断しかねている人が対象だ。既に若年セミリタで満足な生活を送っている人は読まないでくれ。

最初に、若年セミリタの良い所を手短に書こう。何といってもやりたくない仕事をもうしなくて良い。人間関係や通勤地獄とは無縁。空いた時間にやりたい事ができる。自分の生き方を決められる。こんな所だろうか。

短所としては、まず、若年セミリタというのは、その後の制約(後述)が大きく、後戻りしづらい決断をとても若い(早い)時期にするが、人間は変化するという事だ。若いほど先が長いので変化の可能性も高く、気が変わったときに対応できないと、後悔しやすい。何かシックリこない。

低俗な勘繰りだが、若年セミリタの方々の文章を読むと、肯定的に書いて後悔に苛まれないよう、自分に言い聞かせるのに一生懸命なのでは?と思ってしまう。まぁ人間は後悔する生き物なのでそれは良いとする。

そして、一般的に決断は良い事だが、「今日から一生〜する」と違い、「今後もう一生〜しない」と決めるのは消極的決断だ。余計なお世話だが、「〜を全否定して、もうしないのはいいとして、では何をするのだ?」と思ってしまう。何かシックリこない。

また、仮に「もう労働しない」というのは良いとしても、だからといって「若年セミリタ」に直結する必要はない。他の道もある。

前述の制約だが、まず労働に関しては、俺もそうだから感じるが、無職が長引くほど、労働市場に戻りにくくなる。それは良いとしても、倹約節約が必須だと費用のかかる事、例えば、旅行を含めた移動、人との交流、パートナーを見つけて共同生活、自分への投資、人助け、等々、ほぼ無料で出来なければ、基本避ける前提になる。大制約だ。何かシックリこない。

そして、徹底した節約というのは、万人向きでは無い。多くの若年セミリタ者は涙ぐましい倹約努力をしている。超富裕層を目指す俺にとって、時にそれは「かえって大損じゃないか」と思わせる行動も多いがそれはいいとして、自分は倹約や節約を楽しめるのか考えた方が良い何せ数十年も続ける前提だ。そして、倹約節約を楽しむというのは、俺からすると超達人の域で、若くしてそうなるというのは何かシックリこない。また、人付き合いは費用がかかるので、節約倹約はうまくやらないと孤独を導く可能性がある。

これに関連して、若年セミリタは多くの変化に対して脆弱だ。なぜなら変化には費用がかかり、節約に反する。何十年もの間、同じ構造、基本無変化が前提なのが若年セミリタだ。元気なうちは良いが、老人になっても自分と環境の変化を物ともせず、同じような節約生活が継続できるだろうか。何かシックリこない。前述の気が変わった時に困るだけでなく、天変地異、インフレ・デフレ、健康状態等々、若年セミリタの方が不利と考えた方が(断言できないが)無難だろう。そもそも「これから何十年、変化せずに〜、後戻りできない」という決断、不安じゃないのか。普通の人間はもっと弱いんじゃないのか。何かシックリこない。

収入で言えば、若年セミリタの人々の多くは、「配当収入」に多かれ少なかれ依存している。依存度が高い程脆弱だ。ブログ等、複数の収入源があれば心配ないかもしれないが、そうでないと短期労働したりする。働くのがイヤで若年セミリタを始めたのに、結局労働、何かシックリこない。不労でも皆さん細かい数字を常に上げて資産額を気にしている。労働から開放されたかもしれないが、労働の主目的であるお金からは開放されていない。それどころか、労働時代よりもお金に囚われてしまう可能性もある。

最後にお叱りを受けるかもしれないが、これも書いておこう。人間は慈悲の心がある。俺の経験上、根が曲がった、無慈悲、不親切な冷血人間でも、余裕があると優しくなれる事がある。節約貧乏というのは、そのような冷血人間が、建前だけでも、一時的でも、真人間になり慈悲の心を呼び覚ます機会を逃している。貧乏でも優しい人も沢山いるが、果たしてどれくらいの人がそのような聖人じみた心の持ち主だろうか。俺は恥を忍んで言うが、余裕がなければ無慈悲になる方だ。でも自分に少し余裕があると、他に少し何かしよう(寄付とか、人助けとか、動物愛護とか、道を譲るとか)という気分になる。

まだあるがこれ位にする。繰り返すが、若年セミリタを否定する意図ではない。充分良い判断にもなりうる。要は「決断する前に長短を出来るだけ理解する」事だ。片方だけを礼賛する人もいるが、万事必ず代償があるのだ。当然、何十年もサラリーマンを続けるのも、退路を断って芸術家を目指すのも、俺のように超長期株保有で成長重視の資産運用求職生活も、全てを絶ち切って無人島で完全自給生活するのも、似たような長短あるわけだ。

という訳で、俺自身は、たとえ先が多少見えても、隠匿から逃げ回り、なるだけ先送りして、面白い人生の大転換を、自分が画策したもの、思ってもいない方向から来るもの、どちらもまだ何回も経験したい。また、たとえ建前でも、仮に一瞬でも、慈悲の心をなるべく覚醒させ、社会に還元したい。そのためにも、どんどん資産を増やして、どんどん余裕を持ちたい。どうだろうか。

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