ミニマリストについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、「ミニマリスト」という生活様式を標榜する人達がいる。所有は極一部の必要な物に留めるという考えに関連し、以前、似たような内容を書いた。
超富裕層の物欲について考える。 何の専門家でも無い、一凡人 無職(求職中)の素人視点なので疑って読んでくれ。
だが、ネットで見てみると、違和感を感じる。なぜなら超富裕層を目指す俺の金科玉条、「合理性」とかけ離れている。俺が以前モノの整理で主張したのは、時間の節約を目的とした「管理と処分が容易か」で、最低限のモノ量の維持を徹底する必要はない。時間の浪費がなければ、多少雑然としてても問題無い。普通みんなそうだろう。
今日は「ミニマリスト」を考えてみる。はじめに断っておくが、他意は無い。否定的内容になるが、それは俺が素直にそう思っているからで、これも娯楽要素として、見逃してくれ。ミニマリストの皆さんもこういう論調はもう聞き飽きただろう、わかっている。合理性を追求しているわけでは無いミニマリストもいるだろう。わかっている。そういう方々はどうか勘弁してくれ。
まず、一番大事な「ミニマリスト」の定義、これが難しいのだが、まず住居はいわゆるワンルームとか、あるいは小さめの平屋とか、とにかくこじんまりとした間取りで、室内はごく限られた家具、おそらくシンプルなテーブルとイスのみ、そしてお決まりのオサレなパソコンとスマホ、あとはフトン位か、他はほとんどモノが無いような人達を対象とする。これでも非常に曖昧、それは俺の違和感の原点でもあるがまぁいいとしよう。この3点をミニマリスト御用達と仮定する。これより所有物が少ない場合もあるだろうが、それは最早俺には苦行というか修行と言うかミニマリストでも無いので除外する。
話を戻して、この所有物の時点で既に破綻してると思う。なぜなら「ミニマル」というのは「最低限」という意味だが、パソコン+スマホはとても「最低限」とは言えない。言いがかりではない。だってスマホは要は小さいパソコン、大体同じ機能のものが2つ。大きさや処理能力が多少違うだけで、ダブっている。ミニマルには余計なはずだ。スマホは必需品とすれば、パソコンの方は、明らかに意識高い系ミニマリスト用ウソ発見まぬけアイテムとなる。
テーブルと椅子も、例えば「ちゃぶ台」を使用して、床に座る方がより「ミニマル」だから、俺から見るとテーブルと椅子は西洋かぶれ日本式否定的ミニミニ詐欺御用グッズだ。
敷+掛フトンも、確実に寝袋の方がミニマル、つまりフトンは気持ちよく寝たいとか、睡眠が大切だからと、最低限と言ってられない、ミニマルお為ごかしタイーホ用品となってしまう。
普通に考えれば、所有物が無いところから、モノ(生活用品)が増えてくるに連れて生活は便利に、豊かになる。だが増え続けると、ある時点で管理や保管場所など面倒が利便性の利益を超える。この「丁度いい点」を探るのが合理的で普通の生活だ。だがミニマリストはそれをほぼ無視、乃至、諦めて極端に一方の利点(モノが少ない事の良さ)のみを追求するので、違和感があるのだ。
ミニマリストはこのように合理性をほぼ否定しているわけだから、メディアなどでよく取り上げられる所謂「奇妙な生活をする変人」の一つの例に過ぎない。名前を売るというか、そういう打算、計算であればまだ分かるが、そうでなければ、ただの変わり者、別に学ぶべき所は無いと思う。どうだろうか。