中古不動産の需要について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
どうでもいいが、長年とある場所に置いてあった、自分の古い衣類、電子機器、書籍等を大量処分した。全国的に有名な「〜買い取ります」的な場所に持っていった。
今までも維持希望だったのではなくて、量が多くて効率よく運ぶ手段が無かった。先日たまたま移動の手段が得られたので、一気に処理した。大きめのカートで1回の移動では全部店内に運びきれないほどの量だ。
思い出の物品とか、まだ動くとか、いつか読むかもしれないとか、そういう事は最早、心配しない。今まで他も色々散々処分したが、後に必要になって後悔とかしたことはないあったとしても思い出せないから無かったと同様だ。そもそも何を処分したかもあまり思い出せない。
一部物品には値段が一応付くという事で、査定中やることもないし店内を見ていた。電気製品、衣類、俺から見ると本当に需要が疑わしい「ガラクタ同様」の商品ばかりだったが、間違っていた。次々と客が訪れる。何も買わないで見て回っているのが多数派だが、待っている20分くらいの間に、何人かは中古の何かを買っていった。俺はウームとうなる。まぁそれなりに売れるからこういう店も立ち行くわけだが…
一部の芸術品や骨董など「古い」という事自体に価値があるものを除き、中古品というのは基本、新品よりも安くて同じようなものだからこそ、買われる。安いのがほぼ唯一の利点だ。楽器、古本、中古車などまさにそういう市場だ。こういう店に来て、少し古臭い意匠だったり、劣化しているが、使用には問題無い「安いモノ」が買われるわけだ。
だが、この国では不動産だけは、なぜか異なる様相を呈している。
最近は中古マンションなどもそれなりに売れるそうだが、基本、不動産を買うといえば、一戸建てにしろ、マンションにしろ、新築が好まれる。中古より高くても、多くの人は新築を買おうとする。
今俺がいる住宅地も、廃屋はともかく、明らかに誰も住んでいない、古いけれども充分に住めそうな一軒家が多くあってその一部は販売中にもかかわらず、あるいはほぼ空き地状態の場所さえ結構存在するにも関わらず、すぐ近くで新たに住宅用地を確保し、新築一戸建てを何十軒も建築している。新築に需要があるからだ。そしてどうやらそれなりに売れているようだ。ナゾだ。
他の物品では中古店が繁盛して、皆数百円、数千円、数万円、を節約しているのに、なぜみんな、不動産だけは新築で大盤振る舞いなのか。わからない。もしかしたら日本人の美意識の影響なのだろうか。そうでなければ、俺は陰謀説は嫌いだが、そうとでも考えないと、奇妙な状況である。
一方、自分の今滞在している住宅地を散歩していると、どう見ても「近い将来」に住環境の維持が難しくなると容易に想像できる。だからこそ余計に、廃屋空き家のすぐ近くに新築が沢山あるのは、異様な状況というしかない。こんな開発手法は永く続かないんじゃないだろうか。そしてご多分に漏れず?、住人は老人が多い。若い人もいるが、全体的に住人の年齢は明らかに上がっている。景気の良さそうな?手入れの行き届いた家の数より、もうすぐ住人さえも居なくなりそうな暗い雰囲気の家が圧倒的に多い。小中学校のクラス数も増えることは無さそうだ。
これらから俺が出す結論は、中古不動産が活発に取引されるようになるまで、この国ではまともな不動産市場があるとは言えず、従って不動産投資は、もしするにしても、それまで待った方がよかろう。それまでは、できれば投資は他にしたほうが良い。どうだろうか。