ジャーナリズムについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
唐突だが、俺が思うに、日本は様々な分野で豊かな社会であり、世界でも進んでいる国家であるが、ジャーナリズムの水準が高いとはお世辞にも言えないと思う。なぜそう思うか説明する。
まず、良い記事も全く無いとは言わないが、記事が全体的に低品質だ。個人的印象だが全体で価値の無い記事が圧倒的に多い。君は最近「あぁ読んでよかった、ためになった、良い情報を得られた」記事をネットや新聞で読んだか、考えてみてくれ。ほとんど無いだろう。言葉遊びとか、誰でもできる批判とか、受け売りとか、そんなものばかりだ。その割には犯罪被害者などに殺到して大迷惑をかけたり、不必要なその家族の生活に踏み込んだりしている。そこから得る情報はほぼ無価値だ。
また、国外に割く報道資源が無いのか、海外報道も外部機関の情報をそのまま流すだけが多い印象だが、では国内報道がどうかというと、一部公的機関から情報を下賜されて、その下賜の機会さえ会員制で一般の記者を締め出しながら、お上の情報を有り難く報道している。報道官と同じだ。とてもジャーナリズムとは言えない。
低品質は売上からも言える。価値があれば新聞やテレビのニュースは皆もっと観るはずだが、現実はそうなっていない。価値がないからだ。従ってどんどん観られなくなり、読まれなくなる。実際、テレビ局、新聞社、総じて経営が苦しい。言語が問題(日本語、日本人が対象なので市場が限られている)なのかもしれないが、もしそうならば英語や中国語で報道して海外の需要に応える経営をすれば良いのに、そうはしていない(できない)だけだ。
そして、俺個人の意見かも知れないが、ジャーナリストは総じて思い上がりが甚だしい。
例えば、ちょっと前の話だが、北海道かどこかで、新聞記者が大学に違法に忍び込んで、会議を録音しようとしたとして逮捕された。すると所属する新聞社や何人かの同業者が、「報道の自由」だとか、「公共性がある」として抗弁した。普通の人が会議を盗撮して逮捕されても、俺たちは特別だから逮捕するなとでも言うのか。ひどい身勝手な理屈だ。
他にも、先日、不覚にも観てしまった国営放送のニュース番組で、記者が「我々の指名は権力の監視だ」的な発言をしていた。詳細は忘れたが、行き過ぎた報道を咎められ反省が必要としながらもそのような抗弁をしていたと思う。だが報道の自由というのは彼らに与えられた特権ではない。また、権力の監視は彼ら彼女らの義務とかではない。こっちは頼んだ覚えはない。権力監視は国民全員がする事だ。しかし、特権があると勘違いした彼らが、報道の自由だとかいって、周囲に多大な迷惑をかけながら取材行為を強行する。
全体的に価値が無い情報を、思い上がった人達が、一部権力に守られたシステム(情報下賜システム、電波独占利用)を利用して伝えている。高品質の記事が出るわけがない。
国外の状況はよく知らないが、日本在住の多くの人が日本以外のジャーナリズムからの情報を利用しているのをみると、相対的にも報道水準が低い可能性が高い。なぜなら逆はほとんど無い。
そのような人達が、「日本の〜は世界でも低レベル」「日本の〜は世界でも遅れている」とかのたまっているのを見聞きすると、呆れてしまう。彼らの批判対象の中には、国内外の企業を相手に世界中で商売をしている企業とか、相対的に優れている日本の状況等がよく含まれる。彼らは、日本で遅れている、水準が低い、という事象の代表的な例として、まず鏡をみるべきだろう。どうだろうか。