フットワーク?について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、表題のような趣旨の記事とかを読んだことはないだろうか。もちろん、フットワークっていってもボクシングとかじゃない。
「スマホを棄てて街へ」何とかかんとか、というのも同じような主張だ。何回か不覚にも、読んでしまったことがある、この手の記事。
偏見かも知れないが、自身はどれくらい成功したか不明な意識高い系一見オサレでも格好はラフ、時々いるのが俺から見るとちょっと薄汚い無精髭、こんな人が
「私の周りにいる、成功する人はみんなフットワーク軽いですよ」
とか、御高説をタレている。
「成功」というのが何を表しているのか不明だが、メディアの目線はそういうところにないので、こういう意味無し価値無し記事が量産される。
どうせ成功というなら、ある特定分野で世界シェア1位の会社の創業者とか、MLBでタイトルを取った選手とか、芸術の著名な賞を受賞した人とか、せめて起業家でも日本国内でやってんじゃなくて世界で商売している人とか、それならまだ価値のある記事になるかもしれないのに、中途半端?なのを出すから、少なくとも俺から見ると、中身がなくなる。まぁメディアがこの路線が評判がいいと思っているんだろう。あとは低俗推測だが、有名人は中々話を聞くまでが大変だから、その辺の人でお茶を濁して手を抜いているのかもしれない。
どう取るかは読みて聞き手の勝手だから関知しないが、俺はこういう人達の発言はまず参考にしない。参考にしたくてもならない。だから何なら反面教師とするが、今回はその中でもフットワーク発言を取り上げる。
「フットワークが軽い」というのも既に意味不明だが、色々動き回っているとか、行動が早いとか、考えすぎないとか、そういう意味だと仮定する。そもそも最初からそういえばいいのに、フットワークって何なんだろう。少しバカバカしい。そして「成功」がまた定義が難しいが、ここでは経済的成功とする。富裕層くらいの。
つまり簡単に言うと行動する人が金持ちになるという事だが、俺はそうは思わない。
超富裕層を目指す程度の俺は、「成功者」といえるか微妙だが、仮に近いところにいるとすると、とても行動的とは言えない。典型的な慎重型、迷ったら動かない。フットワークとか意味不明な言動の人など、まず疑う。そしてあまり社会的(地域の活動に参加とか、知り合いによく会いに行くとか)ともいえない。ネット上では活動的?だが、実生活では「フットワーク」は重い。つまり、重くても、「求職中、求職中」とか念仏を唱えてながら無職期間が長くても問題なく生活できるくらいの資産は作れるのだ。
そりゃ、サラリーマン時代とか、組織で仕事するときは、必要に応じて動く。誰でもそうだ。普通の事だ。でも求職中の今、あるいは労働時代の自由時間、活動的になる必要はない。そもそも、気の向くままあっちこっちに行ったり来たり、誰彼構わず会ったり、そればかりしていて何の意味があるのだろうか。毎日話すのであれば、配偶者と毎日色々話せば充分だ。無駄話世間話なら、いつもの友達とすれば良い。どこかに行くのなら、犬を連れて山にでも行った方が、インチキ人間の与太話より全然良い。
俺からするとフットワーク活動は単に情報収集の一環であって、ネットを見るのと大して変わらない。楽しめればいくらやっても意義があるが、そうじゃないとこれだけやっても、いくらやっても殆ど意味がないと思う。重要なのは、そのような入力に基づいて、何をどう考え、何を導くかだ。つまりフットワークより考えてそれなりの判断、結論を出す方が大切だ。動き回るのは物理的に容易だが、思考を区切りの良いところまで昇華させるのは難しい。
つまり俺の結論はこうだ。
成功する人は、よく考えている。フットワーク?は関係ない。どうだろうか。