新聞について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
唐突だが、先日、滞在先のホテルの食事の場所で、「ご自由に」と地元紙と全国紙山積みで置いてあったので、両方食事中に、久しぶりに新聞を読んだ。
だが、すぐに読むのをヤメた。
まず、情報が古い。今は誰でも、暇さえあれば、ネットでニュースを見る。新聞のニュースは直前に読んだヘッドラインでは無い。少し前に読んだものだいくら食事前、食事中の暇つぶし、手持ち無沙汰の解決であっても、知っている情報を再読してもしょうがない。なぜなら最新情報を持っているスマホで確認できる。「新聞」だから「新」しい情報なはずなのに、古いのだ。「古聞」だ。そんなものにどれだけの価値があるというのか。
確かに、「入稿印刷配達」の「物理的」手間がある新聞の構造上やむを得ないが、ニュースというのは文字通り新しい記事が生命線なので、相対的に古い新聞情報の価値は著しく低い。毎朝ホテルに届けられる新聞の情報価値は殆どない。
話が逸れるが、ホテルの方も最近はどこでも「WiFiアクセス」を滞在者に提供し、滞在者はネット経由で世界中の最新ニュースを得ているのはわかっているはずなのに、付き合いもあるからしょうがなく新聞をおいているのだろうか。それとも、老人は新聞を読むから、老人客対策なのだろうか。新聞を取るのにどれ位の費用かわからないが、一切やめて他のサービスに回したほうが良いと思うのは俺だけだろうか。できれば、せめて「Wall Street Journal」とか、「Financial Times」とか、百歩譲って「日本経済新聞」を置いてほしい。記者が10人20人程度の地元新聞から期待できるのは地元の情報だ。世界情勢や国内の様々な事件ではない。
そして、話を戻して、内容が薄い。その薄さもハンパではない。表面をなぞっているだけだ。新聞は数ページで半分弱は広告、最近は文字も大きめ、そしてそれで国内国外政治経済株式投稿スポーツ社会テレビラジオ等々全てを網羅するので、必然的に一つ一つの記事は短くなる。写真の解像度も低い。とにかく内容が無い。せめて地元の新聞はネットが載せないような地方の情報とかを深く掘り下げて乗せればよいのに…
また、値段が高い。あの内容であれば、時々掃除や何かの下敷き等に使うことを加味しても、俺なら10円も払いたくない。150円なら、少なくとも今の15倍の情報量が欲しい。しかしそれはとても無理だ。新聞社も経営が厳しく、一部10円では日本の新聞社はたち行かない。
既知の内容の薄い情報が載っている割高な新聞。読みたくなくなるのも当然だ。しかも、そこには老人も沢山居たが、何と誰も読んでいなかった。皆、家族等と話して新聞なんか読んでいない。一体、新聞というのは誰が読んでいるのか?需要あるのか?俺は疑問に思ってしまう。
そして謎なのが、未だに新聞社というのは、特に全国紙はそうらしいが、それなりに「高報酬」を維持している事だ。商売が縮小そして赤字の傾向なのに、株主はたまったもんじゃない。報酬を削減して、収支を改善すべきだ。その上で、報道資源を再配分してほしい。俺は株を持っていないのでどうでも良いのだが…
新聞社がどうすべきか、俺には分からない。多分殆どの新聞社はもうどうしようもないだろう。なぜなら需要がないし仮にあってもこれから先細る。人件費に大鉈をふるっても商売が好転する保証は無いが、記事の質は低いまま、新聞社は待遇がまだまだマシと思われている間は、少しの希望さえも無いだろう。どうだろうか。