成長分野への投資の大切さについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、「人々の〜離れ」と言われ始めて久しい。
この国が縮小傾向を見せ始めてから、ありとあらゆるモノやサービスについて、消費減少・投資縮小が現在まで長く続いている。その代わりに消費が増加傾向にあるのは、スマホとネットだ。見方を変えると、様々な娯楽や商売がスマホ・ネット経由に集約されたとも言える。娯楽もスマホでできないと敬遠される。
この是非は俺には分からない。スマホやネットが様々なモノやサービスを駆逐しつつあるのは、合理化の一環とも言える。無駄がなくなれば低価格化圧力になるので、良い事も多い。善悪に関わらず、全ての分野でこれからはこのような合理化が進んでゆく。
例えば、これも異論あるだろうが、書籍購入はEC(電子商取引)の出現で書店は壊滅、取次も縮小いずれ壊滅、出版社も業績不振、代償としてユーザーが容易な在庫検索・注文、無料配送、おそらく書籍の低価格化、等々の利便性を得た。見方を変えれば、書店、取次、出版社はそれなりに中間既得権益で儲けていた。それを駆逐したスマホ・ネットによる合理化は喜ばしい事だ。
ところで、出版に関しては、ECが無くてもいずれ崩壊したと俺は思っている。なぜなら、「読書」のキモである、「文章を読みたいという欲望」に関しては、ネット自体が非常に相性が良いからだ。ネットの情報は玉石混交だが、それは出版社経由の情報でも同様だ。ネットの方が、読んでみて自分で判断できるだけ利点がある。また、情報発信が一部の人間に独占されずに、誰でも文章を不特定多数に読んでもらえるという利点もある。古い出版産業形態は遅かれ早かれ、破滅する運命だった。これに関してはいつか機会があればまた書いてみたい。
ちなみに、俺調べでは、書店や出版社を最初に苦しめたのは大規模古本販売業だった。ECが主流になるまで、しばらく興盛を極めたが、ECとITで自身の古本事業が興亡の崖に追い込まれている。いつか、これについてもいずれ書いてみたい。
さて、話を戻して、合理化の宿命だが、ここでお金の動きに集中・収縮圧力がかかる。すなわち、中間業者が無くなるため、産業全体では、例えばユーザの読書量がほぼ同じであっても、低価格化の傾向で収益が少なくなり、ユーザに直接リーチするECに収益が集中し、収益総量が少なくなって、社会に広く伝播しなくなる。
繰り返すが、別にこれは悪いことではない。なぜならユーザは前述の利便性を得ている。ユーザは読みたい書籍を入手できれば良いので、書店や取次の運命などどうでも良い。だが、産業総体としては、上記のような影響がある。
それが、書店・出版産業だけでなく、様々な業種で起こり、収益の低下を起こしている。これが「〜の〜離れ」の原因だ。スマホ・ネット・ITに駆逐されてしまうような産業・業界は、逆に言えば産業・事業の構造がその程度のものだったという事だ。つまり、その現象自体は問題無い。
俺が思うに、合理化で色々廉価になったのはいいとして、人々の熱中が新たに移る先が無く、しょうがなく無料やタダ同然のサービスに興じているのが日本の現状だ。そしてこのままだと、日本全体としては、経済が縮小傾向になる。解決策は1つしかない。各自新たな成長分野に注目・注力・投資することだ。
何が成長分野かは誰にもわからない。よく言われるのが、生命科学、介護、製薬などと含めた「医療」、「宇宙産業」、「海外からの観光」、自動運転などを含める「AI関連」、「ゲーム、アニメ」等だ。大切なのは、人々が成長を重視し、既存の産業の保護を排除することだ。困る人もいるだろうが、維持が成長を邪魔しては縮小の傾向から逃れられない。護送船団は全体の速度が遅い船に合わされ、競合に遅れを取り結局船団全体が沈んでしまう。危険度が高くなってしまう。
教育も改善が必要だが、これは難解なので期待しない。俺にも別に妙案があるわけでは無い。よく軽々しくコードを1行も書いたことないような人が「プログラミング教育をやれ」とか、英語が話せるのかも怪しい人が「英会話の授業を」とか、経済の素養があるのか不明な人が「お金の教育が大切」とか言ったり書いたりするのを見聞きするけれども、よく考えてくれ。日本の義務教育でそれを実行するのは抵抗勢力も含めて大改革だ。俺はやるなら今の無駄を省くくらいで、国語算数の基礎に集中くらいで良いと思う。プログラミングも英会話もやりたい人がやればよい。なんなら今後の技術の進歩によっては両方陳腐な内容になってしまう恐れもある。陳腐化については、これまた、いつか、取り上げる事もあるだろう。
まとめると:経済収縮傾向にあるこの国を転換するためには、成長分野への「重視、投資」しか方法がない。成長分野は自然と決まってくる。どうだろうか。