若年セミリタイアの非合理性の補足

2021-07-01 投稿

その他

再度セミリタイアについて考える。

何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。


突然だが、このブログを書き始める際、俺なりに少し何を使うかとか、どう設定するべきかとか、調査した。そして多くの人の意見に従い、アクセス分析ツールを導入した。俺は自分から調べる際は人の意見を積極的に取り入れる方だ。

しかし分析といっても見方がよくわからない。放っておいたが、50日を超えて先日暇なのでちょっと見てみた。すると以下の2つのポストに(相対的に)アクセスが多い:

  • 自己紹介の投稿(現在はタイトルを変更済み)
  • セミリタイアの非合理性を考えた投稿

自己紹介は、読みての興味を惹きやすいだろうから、アクセスが増えるのは、わかる。しかしセミリタのポストが他よりなぜ読まれるのだろうか?コメント機能を使っていないし、全くわからない。セミリタイアに否定的な文章なので、セミリタ者の怒りをかっているという推定は意識過剰かもしれない。今考えると、このような追加分析には、コメント機能は有用だ。怒りの罵詈雑言でコメントが溢れていれば、なぜ読まれたか分かっただろう。
とにかく相対的にアクセスがあるので、便乗といってはなんだが、 セミリタイアの補足を書こうと思う。

少し前回の要点を書くと、「若いうちにサラリーマン辞めて、経済的な自立を、節約生活しつつ、労働を否定的に見て、一生不労生活で目指す」のを「若年セミリタ」と定義し、決断の内容が先の長い人生に於いて問題にならないか?という疑問であった。

この先何十年に渡る長期間に型をはめてしまう事に注視したが、今回は「若さの浪費」が勿体ないのではないか、考えてみる。

まず「若さ」とは何か?定義が難しいが、まぁ普通に10代後半から30歳?くらいまでの人生の一期間の、充実した知力と体力としよう。そんなに反論ないだろう。俺が今この期間中かどうかは、気にしないでくれ。この期間は人生の中でも一番良い時だ。自由もある。その後の人生を決める重要な時期でもある。

だが、俺が思うに、この時期の一番良いところは、「ハイリスクを取れる」という事だ。あるいは、「コスパを考えないで色々な事に挑戦できる時期」と言っても良い。今まで散々合理的判断がどうとか偉そうな事を自分で宣ってきて何だが、この時期は「(一見)非合理的」な事にチャレンジできる。なぜなら知力体力充実している(から成功の可能性が高まる)し、失敗しても被害が相対的に少ない。このような自由度の高い状態は人生の後になってもう一度来るのは、無いとは言わないが、まぁ稀だ。

あるいは、こうも言える。この時期は自分への投資するには最適だ。投資だから成功の保証は無い。しかしいくら大それた投資・挑戦でも、失敗したとしても、例えば40代50代に比べれば、様々な意味でそこから再復活も容易だ。典型的なのは結婚だ。あるいは勉強だ。極端な例では、もし大卒後やはり医者になりたいとして医学部に入り直す勉強をし直すのは20代だったらほぼ問題ない。リスクを取るだけの見返りもある。50代では問題無いかもしれないけど、普通は制約が多い。あるいは芸術分野で頑張るとか、海外を何年か放浪とか、別に中年壮年でやってもいいけど、若さがある内にできればやった方が良いのは異論無いだろう。

で、もう言いたいことはわかっていると思うが、「若年セミリタ」を目指すと、この利点を自らほぼ放棄することになる。だって30歳で不労目指すなら、それまで我慢してひたすら蓄財しなくてはならない。大金を叩いて自分へ投資とか、とんでもない。若セミで一番大切な、不労開始が先延ばしになってしまう。言い換えると、若年セミリタは俺に言わせれば、「若さを使った無謀気味な挑戦」と、「何年か何十年か分からないが、その不労期間」を引き換えている。どちらが大切かに正解は無い。しかし俺は若さの浪費は「もったいない」と思う。そう言いながら俺自身も浪費していないのか?と問われると自信を持って答えられないのだが…

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