パチンコについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
ギャンブル(賭け事ともいう、以下「賭博」で統一)なのは周知の事実、しかし賭博は他にも色々あるのに、なぜしぶとく需要があるのだろうか。今日はこれについて考えてみる。
その前に、賭博について考えてみる。人間はなぜ、賭博に魅せられるのか。
意見は様々だが、俺はこう考える。
合法な賭博は適度ならば、精神の健康にそれなりに良い。酒とか、運動とか、テレビゲームとか、全部同じ理屈だ。適度というのは依存しすぎない程度にという意味もあるが、借金で生活に支障をきたす程のめり込みすぎないように、という意味でもある。つまり、適度に遊ぶ限りにおいて、真っ当な趣味になりうる。
なぜそれなりに良いのか?それは熱中できて楽しめるからだ。だからストレス発散にもなる。博打を好きでやったことがあれば分かるが、賭けの最中は時間経過が早い。つまり熱中している。熱中しているのは楽しいからだ。ちなみに合法も大切なのは、違法であると心から楽しめない要素がどうしてもあるからだ。いつ摘発されるかと、余計なことを考えてしまう。
合法的な賭博は楽しいからやる、言うまでもない当然の真理だ。だから、博打好きは賭け続ける。そして、楽しい事をやれば、当然、健康に良いはずだ。繰り返すが、合法的であれば、やましい事も何も無いわけだから、自分のお金を使う趣味として、健全であろう。
だが、この国には4つの公営競技で合法賭博が大っぴらに行われているのに、なぜ、グレーゾーンに属するはずの「パチンコ」も安定した需要があるのだろうか。最近は人気も低下傾向にあるらしいけれども。
パチンコはほぼ常時?出来て、遊技場も郊外の幹線沿いとか、駅の近くとか、数も多くて公営競技よりアクセスが良いというのが一番の理由だろう。
しかし、俺はこう思う。
パチンコは公営競技の様に、実際の競技者である騎手、競輪・競艇・オートレース選手などの「人間」に賭ける必要はないし、従って他人である「競技者」の研究も必要ない。ポーカーやサイコロ等の様に、他人である「直接の競争相手」もいない。台を選べば、後はひたすら台と向き合っていれば良い。つまり、機械である台の選定には労力が必要かもしれないが、一番関わりたくない、他の人間の事を(それ程)考えなくても良い。
非日常的世界で楽しい事に熱中したい、ストレス発散で賭博やっているのに、日常の象徴、ストレスの原因である人間にまた悩まされるのは御免なのだ。実際はパチンコ台の向こうには台のメーカーの技術者やパチンコ店のスタッフやパチンコチェーンの大企業の社員等が介在しているのだが、台からは直接見えないので大丈夫だ。海外で一心不乱にスロット等を一日中やるのも同じだと思う。とにかく台と自分の世界に没頭したいのだ。向こうからは店内のカメラ等で厳しく監視されているが…
つまり、パチンコ店が流行るというのは、皆の対人ストレスが増大している兆候だ。普段の生活では、会社内で複雑な人間関係に悩まされ、会社外でも顧客や地域の付き合いなどでも心をすり減らし、通勤では不愉快なほどに他人に体を近づけて只々目的地まで忍耐を強いられる。人によっては、安息の場所であるはずの家庭内でさえも同居人同士で気を使う関係になる事も往々にしてある。
だからストレスフルなこのご時世、パチンカー達は余計に人間世界、世俗から離れた仮想的賭博世界である台の中で大いにそれを発散したいだろうが、感染症の影響でそうはいかなくて、困っているかもしれない。どうだろうか。