一極集中について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、時々、スキーシーズン用マンション等が格安で売りに出ている地域、タダ同然とか、10万円とか値段が衝撃的で、またリゾート地に格安で住めるかもという事で、度々ニュースになる。だが、移住は果たして合理的だろうか。「リゾート地」の定義は、みんなが主に「旅行で訪れる」「休暇を使って来たがる」ような場所と仮定する。どのような場所が思い付くか。旅行先で言うと、一般的には、北海道、沖縄とか、外国で言うと南国の海岸近くとか、涼しい高原とか大草原とか、楽しめる事でいうと、前述のスキーやマリンスポーツ、あるいは温泉とか、だろう。こういう場所で格安だと、確かに売れそうだ。
要旨は、リゾートというのは不便な場所、敢えて移住するのは疑問という事であった。
今日はこれに関連して、「一極集中」について考える。ここでいう一極集中とは、日本国内の、大都市、特に東京や大阪にヒト・モノ・カネが集中する傾向の事をいう。
上記投稿で書いた通り、超富裕層を目指す求職中の俺は、住むならある程度市街化された地域が良いという希望だ。田舎に居住した経験はほとんど無く、大都会の真ん中に住みたいというわけでもないが、田舎暮らしは合わない。
さて、一極集中だ。結論を先に言うと、俺は集中でも分散でも気にしない。短く言うとどうでも良い、というか「ヒト・モノ・カネ」の動きは自然に任せるのが大切だ。その結果それらが数ヶ所に集中したとして、だからどうしたという感じだ。
まず、日本は一極集中状態なのだろうか。何がどうなると一極集中なのか。大阪や名古屋はどうなのか。大阪の中でも大阪市に一極集中では?北海道では札幌に一極集中しているのではないのか?つまり定義がかなり曖昧、人それぞれ違い議論は収束しない。つまり一極集中を是正と言ってもどこを直すかハッキリしない。また、それが東京の事だと全国民が同意したとしても、ではどれ位分散すればよいのか。大阪に強制的に分散しても名古屋や福岡にはしなくても良いのか。そもそもその様な、ただ物理的、強制的、意に反して分散させられた経営資源はそこへ根付くだろうか。
そして、「ヒト・モノ・カネが集中」というのは、失政とそれによる制約もあるかもしれないが、究極的には皆の意思と行動の結果だ。ヒトが集中するのが問題だと言っても、そこへ住みたい人が多ければ他人はそれを阻止できない。大体、文句を言う人達も多くは大都市圏に住んでいるんだろう。いつか書きたいメディアのダブスタの典型だ。ヒト・モノ・カネはいつでも自由に動けるべきだ。それらが自由に動くとき、結果地域差が出るのは避けられない。均等維持には右から左に10動いたら常に逆方法に同量動かなくてはならない。そのような制御はそもそも不可能だ。
また、上でも書いたが、仮に東京に一極集中状態だとして、何が問題なのか。「ヒト・モノ・カネが集中」すると、集積地は様々な需要が高まり、経済活動が活性化し、経済的に成長するかもしれない。経済成長の可能性を低めてでも、集中を強引に止めるべきなのだろうか。しかも、「相対的に地方が衰退する」とか「格差が広がる」のが一極集中の問題と言うが、全国一律で一様な状態にするのは非常に難解、仮に集中が問題として、ある方法で(一部)解決したとしても、完全全面解決にはならない。なぜなら必ずどこかに不公平感や格差が残る。全国均された発展などは幻想だ。差ができるのが自然だ。そして繰り返すが、差の程度が問題と言ったって、じゃあどれくらいまで許容されるかと言ったら国民大多数が同意できる数字は俺の知る限り無い。しかも、仮に一瞬均されたとしても、次の瞬間何かが移動していて、すぐに格差が出る。
という事で、まとめると、一極集中等というあやふやなものに惑わされるのは時間の浪費だ。どうだろうか。