親と同居について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
いい歳をして、親と実家で同居生活で暮らしていると、問題視される事もある。今日はこれについて考えてみる。ここでいう同居生活とは、学生時代を終えて社会に出る年齢、介護や健康等やむを得ない理由が無く、独立は一応可能だが、実家の快適性のみでそれを選ぶ状態を言う。その状態を「実家ステイ」、そしてそのような人を「実家ステイ人」としよう。略称「実ステ」だ。
超富裕層を目指す求職中の俺は現在その状態ではないが、職場が実家から比較的近かった一時期、そうだった事もある。その時の経験からも特に問題とは思わない。ただし色々窮屈だし、自由も少ないし、面倒もあるし、仮に職場が近いとしても現在は同居は選択しない。
さて、普通に考えて実家で実家ステイは合理的だろうか。
俺はこう考える。やりたい事やるべき事に集中するのに、障壁にならなければ良い。普通の考えだと思うがどうだろうか。つまり、やりたい事やるべき事ができれば、実家だろうが、借家だろうが、持ち家だろうが、どこだろうが、関係無い。
例えば、準富裕ー富裕ー超富裕層と資産を成長させたいとする。方法は色々考えられる。もし実家に膨大な資産があり、資産家になるにはそれを貰うのが最善とすれば、実家ステイで親孝行に徹するのが良いかもしれないし、種銭をまず作るのが最善と判断し、そのための割の良い仕事が故郷から遠い場所にあるとなれば、実家を出るべきであろう。あるいは実家から会社に通って貯蓄に励み種銭を作るのが最善と判断すれば実家ステイで良いかもしれない。資産を増やすためにはまず社会勉強と判断してアパートに住んでみるというのもアリであろう。
要は何がやりたいか、そしてそのために何をすべきかどう判断するかだ。やむを得ない制約が無いとすれば、「やりたい事は親と同居」という奇特な人でない限り、実家住まいは単なる手段であり、目的とはならない。
だが目的化した時、それは問題となりうる。つまり「働くのがイヤ」が転じて「居心地の良い部屋にずっといたい」がやりたい事に腐食変化してしまい、実家に居着いてしまう。あるいは社会に出てすぐに近隣の職場で働き始めて、「環境の変化がイヤ」で「居心地の良い環境にずっといたい」がやりたい事に化学変化して、実家に死ぬまでいる事になる。これらは元来「親と同居実家暮らし」が「本当のやりたい事」だった訳ではない場合、「本当にやりたい事」の為に行動するチャンスを日々失っているかもしれないからだ。「地元実家に一生居住」で幸せな人も沢山いるだろうから余計なお世話かもしれないが…
考えてみると、例えば純粋に「ゲームを一日中したい」とか「程々に働いてあとはアニメを観て暮らしたい」という積極的?な動機でも実家ステイが最善かもしれない。そして傍から見たらそれらは上記と同じようなものだから、実際は良い悪いを断じる事は難しい。やりたい事を本人がやっているのに、他人からは問題に見えるからと言って妨害する権利はない。
しかし、偉そうだが求職中投資家視点を付け足そう。
「実家ステイ人」は、成り上がりの資産家にはなれない。ささやかな資産家さえも成り得ない。君は、社会に出てからも実家ステイの富裕層を知っているだろうか。誰でも知っているような超富裕層にそんな人はいない。時々メディアとかに出てくる富裕層でも、親と同居は聞いたり読んだりした事はない。公開しないだけで実際そういう人もいるかも知れないが、確率としてはとても低いだろう。
それはなぜだろうか。俺はこう推測する。
実家を出るというのは、ある意味人生で最初の、実体のあるリスクを取る行為だ。雛の巣立ちと同様に、両親の保護から離れるわけだから、仕送りとかあるにしても、リスクが高まるのは事実だ。だが、実際は日本では物理的な危険度は低いし多くの場合は心配する程の事でもない。それでも本人からしたら大決断だが、これ位のリスクが取れない様では、その後の人生でもっと挑戦的に危険度が高い方へ、敢えて踏み込む必要があるかもしれない投資は覚束ない。
10代後半や20代前半はこの出家リスクを取りやすい時期、人生最初のリスク実体験がしやすい時期だ。実家ステイはこの機会を逃してしまう。年齢を重ねると余計に出家リスクが高まってくる。リスクを取る経験をしないまま、老いていってしまう恐れがある。それこそ大リスクであり、本来はそれに見合ったリターンが無いと釣り合わない。しかし代償はその価値があるか、甚だ疑問だ。このような高リスク低リターン行動に陥ると、投資でも合理的にリスクを取れなくなり、投資成績も悪化が必須だ。
恐ろしい「投資成功には出家必須」の仮説。俺も求職中求職中と念仏を唱えても呑気に過ごせる程度の資産を作れたのは、実家を出たのが遠い要因なのかもしれない。どうだろうか。