超富裕層への批判者について考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、言うまでも無く、富裕層・超富裕層・大資産家・大富豪・等々というのは、その他の多くの人達からの批判の対象だ。身近にいる「代々の土地持ち」とか、「地元企業経営者の子息」位だと、相当な資産があっても大した問題や非難の対象にはならないかもしれないが、資産何百億、何千億という公に話題になるような資産額になってくると、厳しい批判に晒されやすい。金持ちのせいで世の中が悪くなっているとか、自分たちだけ上手いことやっているとか、特権があるとか、そのような疑念がある。
富の偏在というのは確かに深刻な問題だ。資産の少ない、あるいは殆どない人達からの「搾取の構造」があるならば問題視されるべきで改善されるべきだろう。また実際、そのような構造は普通に考えれば巷にたくさんあるだろう。
それはそれで良いのだが、そういう記事や番組を目にする度に思うのは、記事を書いたり番組を作っている人達自身はどうなのだ?という事だ。まるで自分たちは搾取される側、あるいは搾取される人達に寄り添う側で、一緒になって金持ち批判を応援する立場ですといっているような論旨や演出が多いので、疑問に思ってしまう。
極端な資産家でなくても、格差問題という意味で言えば、例えば「年収1千万円以上」の人というのはその半分以下の人達から見れば、富の偏在で考えても搾取の可能性で考えてもお金の動きで考えても、同じ様な批判対象になりうるだろう。そして、出版社やテレビ関係の従業員というのは、一昔前ほどじゃないにしても、依然として待遇が良いとされている。
また、番組でしたり顔?で「富裕層、超富裕層」を批判している学者・研究者、経済関連タレント等も、少なくとも困窮しているとはとても思えない。どちらかといえばお金持ちと関係が深い大企業がスポンサーとなって番組を作って、その出演料や広告料などでそれなりによい生活をしていると考えられる。
俺は超富裕層を目指しているが、自分が対象にならないとしても、そんなシタリ顔出演者達の富裕層批判は、疑いの目で見てしまう。「そういうあなた方も少なくとも困窮層じゃないだろう?偉そうな事をいっているが、では何か具体的にしているのか?例えば多額の寄付でもしているのか?」と。
俺は疑い深いので、例え自分は困窮していますという出演者や取材される人が出演しているとしても、疑いの目で見てしまう。なぜなら、それが本当かどうか確かめようがない。少なくとも現在、俺にとってはメディアはこういうのをでっち上げる事は無いと信じられる状況ではない(よく知られいるか知らないが、幾つも捏造の過去がある)。
そんな風に思ってしまう俺はやはりおかしいのかもしれない。だが超富裕層を目指しているとか希望をはっきりと書いて、資産家達成への願望、もっとお金や資産を殖やしたい、と明言しているだけマシと感じるが自分援護なのだろうか。わからない。視聴者には、少なくとも本当に困窮している人の声だけを聞いてほしいものだ。
ゲス推測だが、本当の困窮者にとっては富裕層や超富裕層や大資産家達と、正社員として比較的良い報酬の待遇を受けているテレビ局員・新聞記者達や一度成り上がれば大した事をしなくても比較的厚遇のまま定年まで心配のない大学の教育者達と、何が一体そんなに違うのか。俺にはわからない。感覚的には、給料の中央値より上の人達というのは、それよりはるか下の人達にとっては、ひっくるめて搾取側の人間と認識されていても不思議ではない。どうだろうか。