デパートからアングラへ

2021-07-06 投稿

その他

デパートについて考える。

何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。


唐突だが、最近、何回か、様々な場所の、いわゆる大手デパートに行く機会があった。今日も行った。

俺の思い過ごしかも知れないが、日本国中、どこにいっても、デパートというのは1階から最上階まで、客がいない。最早、このデパートという商売は、終わるのがいつなのか、どれくらい早いかの問題で、復活は無い。なぜなら、人々の特に衣料を含めた生活用品の購買形態はECに完全移転し、是非はともかくこの傾向が変わる事は無いからだ。小売り店舗の低迷はデパートに限らないが、集客相乗効果期待のデパートはもうお役御免だ。理由は簡単、ECの方が商品を探しやすく、品揃えがあり、在庫もほぼすぐに判明し、値段も安いことが多く、遠くまで出かける必要がない。

しかし、御存知の通り、地下1階、地下2階は全く違う様相を見せている。

今日行った所も、「デパ地下」は行政のお願いも関係ないとばかりに、人、人、人、行列、行列、行列、売り切れ、売り切れ…という有様だ。都会の店だが、別にそれほど有名というわけでも無い。それでもそんな状態だ。あれだけ人がいると、もう何か買うのも一苦労だ。一体どうなっているのか。

ここから先は少し雑な推測だが、俺はこう考える。

祖国の事をこういうのは心苦しいが、俺自身も含めて、多くの日本人は収縮思考が染み付いてしまった。シミというだけあって、色素沈着し、取り除くのは至難の業だ。俺も念仏の様に成長重視といっているが、気を抜くと日々アクセク節約思考に陥って余裕を失う。以前書いた通り、その先には恐ろしい未来だけがあり、何かが好転する要素は殆ど無い。

まぁそれはいつかの機会にまた掘り下げるとして、とにかく収縮思考の副作用で、だんだんと消費が絞られてくる。なぜなら収縮だと、節約しようとか安いほどいいとかこれ欲しいけど今は削ろうとか、と考えるからだ。

さて、このような思考にハマると、当然、例えば、衣服に「余計な」金を使わなくなる。交際や結婚への積極性も下がる。車も小さくて燃費の良いモノで充分、いや公共交通機関があれば必要ない。家を買うなど以ての外、借家で充分、しかも狭くて安いのがいい。とにかくどんどん消費しない方向になる。そういえばここ最近タワマンが売れているようだが矛盾する。これは宿題としておこう。いつか機会があればタワマン狂騒についても書こう。タワマンを買うのは一部の余裕のある人々だ。

話を戻して、人間は楽しみや希望が無いと困る。様々な欲望を削って削って残るのは何か?それは食うことだ。衣食住というが、当然一番大切なのは「食」、美味いものを食べるのは人生の最大の楽しみの一つ。財布も心も貧しくなった人民の希望の灯火、それは美味いモノ、そしてその火はどこに灯っているのか?もう言わなくてもわかるだろう。それはデパ地下だ。オサレなレストランやファーストフードやコンビニも良いが、美味いモノを食いたければ、みんなまずデパ地下に行くだろう。

収縮貧乏地獄のオアシス、デパ地下。平日の午前中から、群衆に囲まれている。

デパ地下は例外なく狭い。だから需要が集中し、混雑に拍車をかける。あれも商売がうまい。デパート一棟デパ地下の様にしたらどうなるか?いくら食欲に集中と言っても限度がある。そしてあの混雑も集客の誘いになっている。だから売り場が広々としたデパ地下だけデパートは流行らないと思うがどうだろうか。

つまり、これからはデパートというのは、地上商売は排除し、狭い地下にお菓子や惣菜の小さい店を集めて、やっていくしかない。「デパートメントストア」から、「アンダーグラウンドストア」、すなわち「デパート」から「アングラ」になる。どうだろうか。

管理人

自分の写真
調布 有

ブログ コミュニティ

PVアクセスランキング にほんブログ村

ラベル

IT (28) MLB (10) その他 (59) 安全管理 (20) 格差 (19) 株式以外 (7) 時事 (24) 情報リテラシー (34) 生活 (29) 超富裕層 (42) 痛い主張 (14) 投資 (53) 米国 (34) 労働 (14) 屁理屈 (14)

ブログ アーカイブ

QooQ