デパートについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
唐突だが、最近、何回か、様々な場所の、いわゆる大手デパートに行く機会があった。今日も行った。
俺の思い過ごしかも知れないが、日本国中、どこにいっても、デパートというのは1階から最上階まで、客がいない。最早、このデパートという商売は、終わるのがいつなのか、どれくらい早いかの問題で、復活は無い。なぜなら、人々の特に衣料を含めた生活用品の購買形態はECに完全移転し、是非はともかくこの傾向が変わる事は無いからだ。小売り店舗の低迷はデパートに限らないが、集客相乗効果期待のデパートはもうお役御免だ。理由は簡単、ECの方が商品を探しやすく、品揃えがあり、在庫もほぼすぐに判明し、値段も安いことが多く、遠くまで出かける必要がない。
しかし、御存知の通り、地下1階、地下2階は全く違う様相を見せている。
今日行った所も、「デパ地下」は行政のお願いも関係ないとばかりに、人、人、人、行列、行列、行列、売り切れ、売り切れ…という有様だ。都会の店だが、別にそれほど有名というわけでも無い。それでもそんな状態だ。あれだけ人がいると、もう何か買うのも一苦労だ。一体どうなっているのか。
ここから先は少し雑な推測だが、俺はこう考える。
祖国の事をこういうのは心苦しいが、俺自身も含めて、多くの日本人は収縮思考が染み付いてしまった。シミというだけあって、色素沈着し、取り除くのは至難の業だ。俺も念仏の様に成長重視といっているが、気を抜くと日々アクセク節約思考に陥って余裕を失う。以前書いた通り、その先には恐ろしい未来だけがあり、何かが好転する要素は殆ど無い。
まぁそれはいつかの機会にまた掘り下げるとして、とにかく収縮思考の副作用で、だんだんと消費が絞られてくる。なぜなら収縮だと、節約しようとか安いほどいいとかこれ欲しいけど今は削ろうとか、と考えるからだ。
さて、このような思考にハマると、当然、例えば、衣服に「余計な」金を使わなくなる。交際や結婚への積極性も下がる。車も小さくて燃費の良いモノで充分、いや公共交通機関があれば必要ない。家を買うなど以ての外、借家で充分、しかも狭くて安いのがいい。とにかくどんどん消費しない方向になる。そういえばここ最近タワマンが売れているようだが矛盾する。これは宿題としておこう。いつか機会があればタワマン狂騒についても書こう。タワマンを買うのは一部の余裕のある人々だ。
話を戻して、人間は楽しみや希望が無いと困る。様々な欲望を削って削って残るのは何か?それは食うことだ。衣食住というが、当然一番大切なのは「食」、美味いものを食べるのは人生の最大の楽しみの一つ。財布も心も貧しくなった人民の希望の灯火、それは美味いモノ、そしてその火はどこに灯っているのか?もう言わなくてもわかるだろう。それはデパ地下だ。オサレなレストランやファーストフードやコンビニも良いが、美味いモノを食いたければ、みんなまずデパ地下に行くだろう。
収縮貧乏地獄のオアシス、デパ地下。平日の午前中から、群衆に囲まれている。
デパ地下は例外なく狭い。だから需要が集中し、混雑に拍車をかける。あれも商売がうまい。デパート一棟デパ地下の様にしたらどうなるか?いくら食欲に集中と言っても限度がある。そしてあの混雑も集客の誘いになっている。だから売り場が広々としたデパ地下だけデパートは流行らないと思うがどうだろうか。
つまり、これからはデパートというのは、地上商売は排除し、狭い地下にお菓子や惣菜の小さい店を集めて、やっていくしかない。「デパートメントストア」から、「アンダーグラウンドストア」、すなわち「デパート」から「アングラ」になる。どうだろうか。