広告について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、この投稿の現在は、「blogspot」というサービスを利用している。開始する際、一応他も色々調べたつもりだが、簡単に決まった。なぜなら、自分が能動的に入れるものを除き広告が入らないからだ。ページの先頭に「管理外」でブログサービス側から広告を挿入されるというのは、だいぶ抵抗がある。ページの上段に大々的に入れられてしまうと、デザインや読者体験としても影響がある。また、ブログエンジン・ブログフレームワークとしてwordpressというのが主流であるが、以前の使用経験が良くなかったので、今回はとりあえず使用しない条件で判断した。
俺は、昔は広告というのは厄介物だと思っていた。暇なので動画サイトをよく一日中観ているが、同じ広告を繰り返し繰り返し流されると、広告主に反感さえ覚えるので、逆効果じゃないのか?と訝ることも多い。また広告で中断されると興醒めだし、家事などをやりながら動画を流していると、炊事の途中であると手も濡れているし、「Skip」するのが少々面倒だ。
しかし、インターネット時代が成熟し、少し考えが変わってきた。というのも、自分が見るサイトの多くに広告があり、それによってその場では少なくとも無料で(広告以外の部分の)情報に接する事ができる。物事は全て表裏一体、広告の有無も同様だ。弊害もあるが恩恵もある。これだけ広告産業が大きいという事は、人々に恩恵を受け入れられているという見方ができる。多くの人は「無料で広告あり」、「有料で広告無し」だとほぼ無料の方を選ぶ。つまり間接的だが、ユーザーに広告需要があるという事だろう。
また、是非は別として物事が進む方向が決まるというのもある。広告前提のサービスはビジネスモデルとして成り立っており、是非はともかくとしてサービスの維持や高品質化を目指す提供側がこの方針を維持する世の中の流れは、これより優れた方法が無い、あるいは何らかの利益以上の問題点が顕著にならない限りは、と支持されることになる。正しい正しくないでなく、流れはこの方向に流れているということだ。逆らうのも一手だが、ある程度流れに乗るのもまた一手だ。
しかも、最近は個人がネットで広告を出して収入を得られる。見方を変えれば既得権益であった広告収入がメディアなどの一部の専門業者から個人へある程度開放されたと見ることができる。是非は分析が難しいが、新たな経済活動だから好ましい面はあるだろう。
そしてこの動きは是非に関わらず今後も加速する。市場のパイはどれほどかわからないが、どんどん参入してくるという事は人々がそれを望んでいるからだ。「広告の自由化」までは言い過ぎかもしれないが、「広告の第一次民主化」位かもしれない。長年業界を支配していた会社の業務が相対的に陳腐になり刺激され、全体が活性化される。
そして超富裕層を目指す求職中凡人投資家の俺としては、投資先として非常に好ましい。広告の裾野が広がる程、業績がのびるハイテク株が沢山あるからだ。インターネットと広告は言うまでも無いがとても親和性が高く、そしてそれにより新興企業による技術革新も起こりやすい。広告市場がそれにより広がれば、多くのハイテク株価が上がりやすくなる。また広告のお陰で陽の目を見た事業や会社というのは、ハッキリとしないだけで多いのかもしれない。
という事で、ネットの広告は、ハナから否定、忌避も有り得るが、普通は個人レベルでも投資でも流れに乗って、「積極利用」が良かろう。どうだろうか。