マスクについて考える。
何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、マスクについてだ。
大勢と同じく、俺はマスクが嫌いだ。日本ではこの大混乱以前から、風やインフルの予防として、結構な数の人がしていたが、自分としては冷めた目で見ていた。もちろんどれくらいかわからないが、ある程度は予防にも役立つだろうし、ついでに花粉も防げるとか、日焼け予防とか、その他の恩恵もあっただろうが、それらの得を全部足しても、俺にはまだあまりにも面倒が多すぎる。マスクは目しか見えなくて、顔をごまかしやすいので着けているのか?とゲスい憶測までしていた。
大勢と同じく、俺はマスクが嫌いだ。日本ではこの大混乱以前から、風やインフルの予防として、結構な数の人がしていたが、自分としては冷めた目で見ていた。もちろんどれくらいかわからないが、ある程度は予防にも役立つだろうし、ついでに花粉も防げるとか、日焼け予防とか、その他の恩恵もあっただろうが、それらの得を全部足しても、俺にはまだあまりにも面倒が多すぎる。マスクは目しか見えなくて、顔をごまかしやすいので着けているのか?とゲスい憶測までしていた。
現在も同様の面倒で、恩恵の方が相対的にも高くなった(特に科学的というより社会全体の圧力が強くそれに対抗するには相当な労力が必要)という事で、社会全体がマスク、俺もしょうがなくマスク生活だ。こうなってくると、禁煙と同じでマスク無しのヤツがいると腹立たしくなってくる(前述した社会全体の圧力の主体だ)。食べる時とか顔認証とか飲み会で話す時とか、「外さざるを得ない場面」も多いし、取り換えずに同じのを毎日着けている人もいるだろうし、本当に有効なのか?と疑問に思いながらも、着けたほうが良いという専門家が殆どだから我慢している。
最近は会話が面倒になってきた。俺だけではないと思うが、例えばコンビニレジでは次ような会話になり得る。
レジ店員「・・ウ・・・マ・・・」
買物客俺「?・・・・ゲ・・ロ・・・?」
レジ店員「・・ウ?・・・・・・」
買物客俺「?・・・・ティ・・ロ・・・カ!?」
レジ店員「・・・・・」
ゴノレゴ13「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
買物客俺「・・・・・?」
ゴノレゴ13「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ゴノレゴ13「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
その後は、最悪、会話するため、意思の疎通を図るために、結局マスクを取る場合もある。なんのためのマスクなのか…
まぁそれはいいとして、一体、どのような条件でマスク生活から離脱できるのだろうか?俺が思うに、日本では以前の様なマスクフリーには永遠にならないのでは無いか?と危惧している。ほぼ不可能と思われる「ウィルスの世界からの根絶」が宣言されない限り、「こうなったらほぼ全員賛成」という条件が思いつかない。
前述の通り、そもそも感染症以前から日本はマスクが相当浸透していた。通勤電車や飲食店で、「無条件マスク無し完全OK」になるのが想像できない。なぜなら、天然痘のように根絶されない限り危険度はゼロでは無く、従って全員が同意できる条件など存在しないからだ。
マスクは自分の為もあるが当然相手に対する「礼儀作法」、つまり相手の「安全」もさることながら、相手の「安心」のためという面も強く、そうなってくると自分の考えだけでは軋轢を避けるのに無力だからだ。
個人的には、何事も、感染症も含めて、「ある程度の危険度」を万人が、多数派が受け入れる方向に行ってほしいが、メディアに煽られた面も否めないように見えてしまう日本の現実社会を見ていると、絶望感がある。
「マスク常時着用」というのは、周囲のストレス低減に有効かもしれないが、装着する人自身には、人よっては非常にストレスになる。「終息まで我慢」と思っていた人も、遂には終わりのないマスク生活の「無限の日常」に限界点を越えるかもしれない。そしていつかは、マスクの必要無い国へ離脱する、マスク難民ならぬマスク移民が増えるかもしれない。どうだろうか。