なぜオッサンは迷惑武勇伝を話したがるのかを考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
「あ〜、昔は良かったなァ」
古今東西、未来永劫、千年一日の如く世界中で今日も繰り返される台詞だ。
しかし、昔は良かったのか。
凡人投資家(求職中)の俺は、様々総合して、今の世の中の方が遥かに良く感じている。
世界中でテクノロジーが広まって便利になり、色々な事が科学的に判明してより合理的に暮らせるようになり、環境も何だかんだで良くなっている面も多い。日本も古くて変な伝統は少しずつでも淘汰されている気がする。もちろんまだ地域によっても地域内でも格差があって問題山積だが、前より良くなった面も多いだろう。
大体、昔は良かったのが真実なら世の中どんどん悪くなっているという事になってしまう。実際そうだという変わり者もいるかもしれないが、一体何が実際に悪くなっているのか、俺にはあまり想像がつかない。何か悪化一方の事態って何かあるだろうか。
それはいいとして、では、多くの人は、なぜいつも昔を懐かしがるのか。
俺はこう考える。
まぁ当て嵌らない例外もあるだろうが、多くの場合は、そのような迷言で周囲を困らせたりする人は、要は老いただけだ。歳を取っただけだ。若くなくなっただけだ。
つまり、「昔は良かった」というのは、単に「若い頃はよかった」という事だ。若い頃の方が普通は健康だし、刺激も多いし、希望も持っているし、遊びも楽しいし、良く感じるのは当然だ。
若い頃は家庭が貧乏で苦労したとか、親や学校が非常に厳格で早く社会に出たかったとか例外?もあるだろうが、それら以外の場合は中年壮年老年では、昔の記憶は美化されやすいのかもしれないし、若い頃を少なくとも懐かしむのは自然だ。
ではなぜ、言っている人もいるだろうけど、「あー若い頃は良かったなぁ」と皆言わないのか。
それは世の中というか社会というか、そういう対象と、自分自身の変化を混同している。「俺は若い頃は良かった、だからその頃の社会も良かった」と脳内で変換してしまっているのかもしれない。
最近では、よく「使えない人材が多い」と非難の対象になったり、「俺の若い頃はもっと猛烈に〜した」的な発言をして顰蹙をかったりする、いわゆる「バブル世代」は好例だ。バブル時代に若かったら、いろいろな昔話から想像するに、日本の話しだが、皆、それはそれは浮かれていて、金遣いも荒くて、根拠の無い希望を持っていたらしいから、その頃を思わず懐かしんでしまうだろう。でもその時まだ幼児だったり、逆に既に衰えた老人であったなら、それほど良い印象がなくてもおかしくない。つまりその時代が誰にとっても良いわけではなかった(可能性がある)。あるいはその少し前の高度成長時代も面倒な世代だ。俺たちは苦労して成り上がった、人並みの生活を手に入れた、みたいな逸話を誰でも多少は持っている。そんな事を今更自慢されてもまずピンとこないし、現代社会に応用できないし、大体長くて誰でも同じような話になるから面白くない。
まだ懐かしむだけなら良いのだが、そういう、代表的にはオッサンたちだが、はそこから一歩踏み込んでしまい、上記「脳内変換」の混乱により、聞きたくもない武勇伝や、昔の常識の押し付けに繋がり易い。つまり若い人達(あるいは同世代以外の全員)に疎まれる。その人にとっての「古き良き時代」の逸話はつまらなくて、迷惑でしかない。俺も当然今より若かった頃はそれなりに良い思い出もあるが、自分より若い人にはその頃の話をして醜態を晒さないようにしたい。また、自分より歳上の人の武勇伝からはなるべく逃げ回るように心掛けたい。どうだろうか。