カジノを考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、最近、とある地方選挙でカジノ誘致政策が争点となった。
他のあらゆる挑戦的な政策・方策と同様に、カジノについてもメリット・デメリットが多くあるが、凡人求職中の俺は専門家でもないし、カジノ自体の是非については他の分析に任せる。
日本のいつもの光景だが、この種の挑戦的な試行や運動は、反対する人達が必ず強硬な運動を展開して、結局何も変わらない。それは国民が決めた事であればしょうがない。投資家視点でいえば、何も変わらなければ経済的優位にある人はそれが維持されるので、皆がこれで良いのなら文句は言えない。
さて、カジノについては問題が色々指摘されているが、その中でも「ギャンブル依存症対策が不充分」というのがある。反対派の最大の根拠になっている。
俺は詳細は知らないし繰り返すが専門家ではないので参考程度に読んでほしいが、これはシックリ来ない。
だって、何にだって依存症はあるのに、なぜギャンブルだけやる前から厳格な依存症対策が反対の根拠になるのか。スマホ、薬品、食品・飲料、ファン行動等、世の中はありとあらゆる依存症の危険がある。それら全てに依存症対策が販売前に厳格に義務付けられているのだろうか。そもそも「買い物依存症」だってある。すると買い物の対象になるものはすべて依存症対策が必要がある。
世の中、全ての消費で節度が必要だ。つまり、世の中で公式に許可されているものは、過度にならなければ、それなりに有益なものだ。逆に言えば白米やテレビも過剰なら問題になりうるのだ。
以前の投稿でも書いたとおり、ギャンブルもそのひとつだ。
突然だが、社会の変化、またこのご時世で市場は縮小傾向だが、パチンコは根強い人気がある。ギャンブル(賭け事ともいう、以下「賭博」で統一)なのは周知の事実、しかし賭博は他にも色々あるのに、なぜしぶとく需要があるのだろうか。今日はこれについて考えてみる。その前に、賭博について考えてみる。人間はなぜ、賭博に魅せられるのか。意見は様々だが、俺はこう考える。合法な賭博は適度ならば、精神の健康にそれなりに良い。酒とか、運動とか、テレビゲームとか、全部同じ理屈だ。適度というのは依存しすぎない程度にという意味もあるが、借金で生活に支障をきたす程のめり込みすぎないように、という意味でもある。つまり、適度に遊ぶ限りにおいて、真っ当な趣味になりうる。
突然だが、先日、「パチンコ」について投稿した。今日はそこでも少し触れた、「公営ギャンブル」を題材にする。結論を先に言うと、国家運営視点としては、公営ギャンブルは優れたシステムになりうる。趣味として、適度に楽しむ限りの範囲では、一市民視点でも良いシステムと言える。しかし、投資家視点だと、やるべきではない。結論でほぼ書きたいことは全てなのだが、少々付け足す。ちなみに、「公営ギャンブル」は4種類あるが、俺がやったことがあるのは「競馬」のみだ。従ってその他3種についてはよくわからない。競馬も大昔に少しやっていただけだ。俺は公営ギャンブルは何年もやっていない。しばらくやっていないと、再開するのはなかなか面倒というのもある。
それを踏まえると、依存症対策を旗印に反対運動をする人達というのは、何か変な動機があるのではないか?とゲス勘ぐってしまう。どうだろうか。