投資を続けてその先に何があるのかについて考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
凡人で求職中である俺は今まで偉そうに「長期保有成長重視で投資」とか言ってきた。
しかし、「長期保有」はいいが、それを続けて一体その先どうするのか?長期の先に何があるのか?と思うかもしれないので、本日はそれを題材とする。凡人で求職中である俺の場合は、普通かもしれないが、こうなる。
投資の先にあるのは、新たな投資だ。
再帰的禅問答、あるいは誤魔化し含みの聞き手を煙に巻く回答みたいだが、これは望む望まざるに関わらず、株式投資家はみんな原則そうならざるを得ないのだ。なぜなら、株を売ってその売却金で他の株を買ったりするわけだから、売った株に投資してたのは新たに買った株への投資のためだったという事になる。
売却せずに給料でひたすらに株を買い足していく…という人もいるだろうが、その株が紙で燃やされたり山中深く埋められたりしない限り、いずれお金に変わって再投資されるか、他の株に変わるか、その2つしかない。永遠に保有されるという事は無い。なぜなら永遠に続く会社などあり得ない。
インデックスとかは相当長く続くかもしれないが、内部では銘柄が入れ替わるので、実質何か売って何か買ってと同じだ。金は江戸幕府のや山下将軍の金塊伝説の様にどこかに隠して置かれるのでなければ、世の中を回っていく宿命だ。つまり投資されていくのだ。
投資のために投資する。世の中を回るお金の宿命、投資家の日々の活動だ。これは言い換えると、色々なところで色々な人が書いていることだが、市場から退出しないのが大切ということでもある。投資のために投資できている限り、再帰的だから退出しなくて済んでいるということだ。
もちろん売却金を株以外のモノに使う場合もある。でも不動産購入とか起業なら新たな投資だ。費やされた金は誰かのものになり、その人が株に投資するかもしれないし、あるいは他に費やされれば同じように金が回り続ける。健康に使うとか、教育に使うとかも自分や他人への再投資だ。寄付だって社会を良くしようという投資だ。高級車とか、高価な宝石とか、贅沢品への消費は投資というには多少苦しいし屁理屈染みているが、何か見返りがあるわけだからそう言えなくもない。
要するにお金は使う・使わないの2択で、使う場合は大抵は広い意味で投資、使わなくて死んでも結局誰かが使うことになるので、投資される。逆に言うと投資以外に大金を使うのはなかなかむずかしい。前述のように大組織再興を目指して埋蔵金とするか、あるいは山奥で札束を燃やすとか、知らない人にばら撒くとか、ギャンブル三昧とか、そんな異常散財以外の普通の健全な使用だと、投資側面がある。つまり、生きていると投資する事になる。
投資家視点に話を戻して、俺の場合は投資の中でも現在は株式投資に集中している。そしてこの先も新たな(あるいはすでに所有している)良い株式があって資金があればそこへ新規・追加投資する。
その先の理想の状態をいえば、より良い生活のために好きなだけ投資をしても使い切れない位に株式資産額が増える事だ。その額はいくらかわからない。皆はいくら位を想像するだろうか。だからとりあえず上を目指している。使いたい金額によっても変わってくるから、この先その判断も変わる。年齢や社会情勢で変わる。もちろん資産額が大幅に減って余裕が無くなる可能性も大いにあるがその時に考えれば良い。もしそのような「時」が来ても、健康ならば何とかなるだろう。という事は健康への投資は資産成長と同様に重要だ。どうだろうか。