超富裕層と友達 (1) 友達デッドロック

2021-09-03 投稿

屁理屈

友達・友人について考える。

何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。


突然だが、君、友達はいるか?何人くらいいる?あるいは、親友はいるか?

人間不信が蔓延るこのご時世、ハッキリ「N人(N > 0)」と答えられる人は相当な強者じゃないだろうか。

俺が思うに、人間、真の友達同士になるのは非常に難しい。本日はこの証明を多くの屁理屈を交えて題材とする。大げさだが屁理屈だから真に受けず、半ば冗談として、気楽に読んでほしい。

その前に、先の質問への、俺の場合の茫洋とした返答はこれだ。それなりに無難だと思う。

うーん、まぁ、そんなに頻繁に会う人はいない。

さて、俺が思うに、「トモダチ質問」というのは、様々な問題がある。

まず、この質問をする人をどう考えるかだ。面接で聞かれたり、いきなり街頭で取材されるのでなければ、それなりの知り合いが聞いてくるわけだ。「友達はいない」といえばその質問者にも「あなたは友達じゃないです、ましてや親友とはとても言えない」と暗に意思表示するので、微妙だ。でも逆に「君(質問者)は俺の友達だ」と答えても、相手はそんな気は無いないかもしれない。初対面位の人に聞かれた場合を除き、どう答えても奇妙になる。

そして、何気無い質問の様だが、非常に個人的な事を聞いている。立ち入った質問だ。聞かれたくない人も多いだろう。それこそ、友達で無いと、聞けない質問だ。「恋人はいるか?」と聞くのは多くの場合で失礼な可能性があるが、トモダチ関連も同様だ。

そもそも、これは愚問だ。なぜなら「友達」とか「親友」というのは、定義が曖昧だ。人によって違う。基準が違うのに数字がX人とかはっきり答えが出てしまう。誤解を招く。


それを踏まえ、「トモダチ質問」をまずこう始めるのはどうか。

君にとって、友達とは、どんな人か?

人によっては一度話しただけで友達と思っちゃう場合もあるし、なんらかの難しい条件を満たさないと友達とは思えないという人もいるだろう。物理的な距離や、年齢差も関連するかもしれない。当然、友達状態から友達じゃなくなる事もあるだろう。

だが、この「トモダチ定義質問」も、俺が思うに、問題があるといえばある。

まず、依然として非常に個人的、聞かれるのが嫌な人もいるかも知れない。特に候補者が非常に少ない、乃至いない人には辛い質問かもしれない。

そして、突き詰めると非常に哲学的になる。答えるのが難しい。どのような定義も、微妙な範囲や矛盾をはらんでいる。例えば同じ組だった人達は友達としよう。でも級友全員と懇意なわけがない。卒業して会ったことも無い、消息を知らない人もいるはずだ。それは友達に入れていいのか?連絡先を知っていれば必ず友達ともいえないだろう。だって連絡を一度もしていない人がいるだろうから、その人達は入らないだろう。同じ部活の人、同じ部署の人、全て同様の曖昧さがある。

そもそも、こんな個人的で難しい事を聞いてどうするのか?どのような答えも倫理観、人生観、等々が出てしまう。依然として立ち入った質問だ。こんな事が聞けるのは、心を許した、真の友人だけだろう。聞かれた方も、真の友人相手でないと、返答も本当のことは言わず、はぐらかしたものになるだろう。


つまりこういうことになる。

友達の定義を聞くには、まず友達にならなきゃいけない。

そして、

友達になるには、相手の友達の定義を知る必要がある。


以前、散々カタカナ文字を貶しておいてなんだが、これはデッドロック状態だ。友達デッドロックだ。なんとも生きにくい世の中だ。どうだろうか。

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