政局の楽しみ方について考える。
何の専門家でも無い、求職中の素人視点なので、真に受けず疑って読んでくれ。
状況は流動的だが、政局になった。
立候補が取り沙汰されている、「名乗り出そうな人達」への個人的な好き嫌いとか、各人の予想される政策への賛否等はそれぞれあるだろうが、凡人投資家視点としては、こう言っては何だが、誰でも良い。期待することは1つだ。
それは、陳腐な言い方だが、どれだけ社会に変化が起こせるかだ。
乱暴に言うと、変化ならどんなものでも良い。どうせ、あまり極端なものや多くの人が嫌がる政策は結局受け入れられないから、現実的な範囲でどれだけ思い切って、腹をくくってできるかだ。
だが、現在名前が上がっている人達は「剛腕」というか、ハッキリした方針を多少の反対はモノともせずに突き進める「強行」という感じの人は(俺の見るところ、個人的な意見だが)居ないみたいだし、本人が剛腕でなくても所属派閥とかで大きな力があれば派閥の力で何かできるのかもしれないが、どうもどこも勢力が拮抗しているのか、それとも牽制しあってお互いに前に出にくいのか、今回は少なくとも集団の力も働きにくいようだ。権力の集中は良くないとも言うが、分散しすぎるとこのような日和見が続いて何も断行できなくなる側面もある。それ以前に、そもそも内部から変化が起こるのは日本では稀であるから、それ程国民は期待を持ってないと思われる。
穏健な賛成が5割強だが強硬な反対派が3割で残りはどちらでも良い等という、比較的大きな変化を伴う課題は日本に山ほどありそうで、しかもこの割合であればこの政策は実施できそうなものだが、現状日本ではこの割合ではまず数々の障壁を通らない。最近だと変にネットで耳目を集める人が反対などと言い出すと、それが盛り上がってしまい、影響してしまうことも考えられる。本当は選挙を勝ち上がった人の意見が通るべきなのに、そうはなっていないようだ。
本当はまずやってみて、ダメならまたそこで軌道修正するなりある程度間違いを認めて方向転換するなりすれば良いのに、そうならない。なぜなら失敗するかもしれないが一度やってみよう等と議員が言ったら、その失敗で被害を受ける人達がいたらどうするんだと袋叩きにあってしまう。あるいはしわ寄せを受ける人が1人でもいるのは絶対許さんとなってしまう。日本弱体の元凶、ゼロリスク圧力が常にかかる。建前であってもゼロリスクが条件ではほとんど効果のある政策は実行できない。確かに変な影響を受ける方になったらたまったものではないが、誰にも皺寄せがない政策などというのは殆ど意味のない施策だ。
それから、政権政党内の争いで共通した基盤があるから、元々そこから酷く逸脱できない。それなりの現実的なモノ、つまりあまりこれまでと代わり映えしない、政党が纏める政策は、今までの延長線上にあるような方策になる。
日本はこのような土壌があるから、逆に言うと、変化を促す政策を「強行」実施できれば、僅かな変化予測でも社会に刺激になる。大きな変化の可能性があると大騒ぎになって活性化する。
そして何と言っても、変化が大きい程様々な資産市場に影響を与え、上がったり下がったりが激しくなる可能性がある。つまり投資家としては面白くなるという事だ。上がっても、下がっても、面白くなる。投資家の政局の楽しみ方とは、そのような相場への影響だ。
そもそも政治・政局というのは娯楽要素が多い。権力者が右往左往して必死になる。関係者がメディア等で激しく議論する。選挙がある本人達は言い争いも本気だ。平和的な争いは当事者が真剣であるほど面白い。無責任すぎる味方だろうか。どうだろう。