ユニフォームや髪型の半強制について考える。何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、開催に賛否あったようだが、今年も高校野球の選手権大会はそれなりに盛り上がったようだ。「ようだ」というのは、俺は中継は見なかったのでネット情報ベースだからだ。
それはいいとして、春夏に高校野球が開催される度に、制服や髪型の画一強制規則に楯突く人達はなんで黙っているのか(あるいは騒いでいるのかもしれないがなぜそれが盛り上がらないのか)と考えてしまう。だって髪型とユニフォームが画一的というか完全にチーム全体で同じだ。競技者を見やすく分けるという意味もあるのだろうが、決勝戦は御存知の通り「智辯学園」対「智辯和歌山」、見分けはほとんど付かない、というか同じだ。「東海XX」対「東海大YYY」で見分けがつかないという対戦も今まで結構あったので、智辯対決が特殊な訳では無い。
スポーツ以外の、中学高校の制服髪型などの校則、就職活動の時期になると学生が皆同じ格好になる事、社内で制服が義務化されてたり服装規範がある会社、等々を非難している人たちは、これについても反対しないと二重規範にならないか?校則やシューカツ様式はけしからんがスポーツは良いというのは何か根拠でもあるのだろうか。あるいは、極端な例かもしれないが軍隊はどうか?迷彩服は陸上戦闘中は意味あるが普段は必要ない、制服強制はイカン、自衛隊は平時は私服にしろ!災害派遣中は戦闘中ではないから画一的な制服強制はけしからんと主張する人はいるのだろうか。また、少し緩い服装規定だが、例えば営業マンとか、医者とか、短パンに下駄とかではさすがに…という人は多いだろう。これも社会全体では画一圧力になる。だが営業マンに清潔感を保つように顧客や社会は圧力をかけるな!というのは聞いたことがない。
凡人投資家の俺はこう考える。
本当に自由を受け入れろというなら、法律に抵触しない範囲はどんな様式も受け入れる必要がある。全身着包み(きぐるみ)で高校登校、海パン一丁弁護士、不潔白衣の医師、柔道着の営業マン、和服でプロサッカーしても良い筈だ。だが個人で自由が効く稼業は別として、そんな奇特な格好をする日本人はいない。なぜなら第一にはまず各自の常識で避けられるが、それに加え各所属組織(国や自治体や社会では無く)が自律的に規則を持っている。規則の根拠は様々だが、大まかには組織全体の合理性を考えているからだ。だからある程度の規則は必要だ。逆に言うと明らかに非合理的であれば、活動や商売に悪影響が出ていずれは是正される。学校なら生徒が来なくなり会社なら良い人材が採用できなくなる。組織は自身の存続が第一である本能があるから、それが危うくなるなら規則でも何でも変える。
とにかく、完全自由というのはありえない。どこかに線を引くしかない。それが校則社則だ。そしてその「線」の引き方に文句や反論があっても、それが法に抵触していない限り外部が非難しても考え方の違いだから水掛け論で、異論がある人達は自分の考えを貫くために組織に逆強制するのは筋違い、受け入れられる他の組織を探すしかない。あるいは最初我慢して規則を守って組織に入り、権力を握ってから内部から自分で変えるしかない。入る前から俺に合わせてくれというのは愚かだ。万人に合わせるのは不可能だから、誰かが多少は我慢せざるを得ない。
そして、特定の組織だけじゃなく社会の常識の変更を受け入れるように促すならば、自分が先頭に立って政治活動して、法案化するなりしかないだろう。これは社則校則画一強制に限らず、違法じゃないが気に入らない事があれば何でもそうだ。凡人投資家としては、繰り返しになるが、法律の範囲内であれば校則社則どんなものでも構わないし気にしない。自分が受け入れ難いものがあればその組織は避ける。一般の画一した制服やユニフォームは問題無い。もし時代錯誤、理不尽、非倫理的な規則があればいずれ組織の自律作用が働くから気にしない。例えば高校野球の短髪半強制は外部が騒がなくても、長髪の強豪高校が多くなったり、世間からあまりに問題視されれば、自然と無くなってゆくだろう。どうだろうか。