有料サロンの有害性について考える。何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。
今更だが、有料サロンというものがある。
俺は参加したことがないので何だが、今日はこれを題材とする。
結論を先に書くと、有料サロンは有益サロンもあるのかもしれないが、有害サロンもあるだろうし、参加は合理的とは言えない。ほぼ常識だと思うが、改めてこれを考える。
まずはじめに断っておくが、全ての有料サロンが有害(無益)だと言うのではなく、また総合的に見て、あるサロンが有料だとして、そこへ参加するのは非合理的である可能性が非常に高そうだということだ。
何が問題なのか。
まず、情報の価値が高い「保証」はない。以前の投稿でも書いたが、大手メディア、ネットを含め情報というのは玉石混交だ。有料サロンも例外ではない。そして、有料か無料かもあまり関係が無い。なぜ有料記事が信用できないか?それは商売だからだ。大手メディアも商売だ。仮に商売度外視の記事もあったとしても読み手には見分けがつかないし、普通に考えれば業績への圧力が記事内容に影響する事もあるだろう。つまり玉石混交だ。もちろん無料記事でも広告とかクリック数とかで背後で商売が動いている。同じ事が有料サロンにもあてはまる。主宰者は商売でやっている。
ここで大切なのは、大手メディアにしても、有料サロン主宰者にしても、業績や存続が掛かっている場合も多いから「商売優先」でやるのは当然で、全く問題無い。そして商売でやるのは違法行為でない限り、悪い事ではない。だからやっている方からすると、文句を言われる筋合いはない。それが読み手にとって情報の価値を減らす事を意味するのであっても、売れる紙面、人気のある記事、等々が幅を利かすのは当然だ。
そして、「本当に価値の高い情報」は、それなりに値が張るはずだ。その価値の高い情報の「正当な価格」はどれくらいなのか。俺は有料サロンがどれくらいの費用がかかるのか知らないが、薄利多売の商売形態だから廉価と推定する。そんな廉価、つまり端金で得られるものに価値があるのか、どうも胡散臭い。あるいは、真に価値の高い情報というのは長年の批判に耐えた定理的なものも多い。言い換えれば万人に有効なものは「共有知識」となっている。すなわち、お金を払わなくても得られるたぐいのものだ。例えば、分散投資は資産防衛の王道だし、ドルコストは積立投資効率の真理だ。この類の有効な情報はすでに公有だ。情報量を払って「ドルコスト」を勉強する人は情報弱者と言われてもしょうがない。
また、サロンの情報というのは金を払うまでどんなものか分からない。実際情報を貰ってみたらインチキということも有り得る。しかしその場合損を避けられない。はした金でもそんな事やる必要あるだろうか。
そもそも、お金を払っても誰々の意見助言が欲しいという時点で少々心酔気味、宗教がかっており、冷静に分析できる可能性が低い。何を言われてもありがたがってしまう土壌ができてしまっている。そんなところに突っ込んでいくのは非合理的だ。だが、逆に言うとそこが有料サロン商売の優秀さなのかもしれない。人間の心の隙をうまくついて当たり障りのない事を助言でもしておいて、薄利多売で儲けるというわけだ。何かでカリスマ的人気があればやりたくなる、美味しい商売だ。逆に言うと、客である読者にとっては不味い飯という事になる。つまり参加は非合理的だ。
基本に戻って、仮に有料サロンも無料のネット情報も情報価値の平均が同じだとすれば、たくさんの情報に無料で触れられて、最後に自分で損失なく価値判断できる後者の方が断然合理的だろう。どうだろうか。