周到な準備や緻密な計画はなぜ有効なのか

2021-09-16 投稿

屁理屈

準備や計画の有効性について考える。

何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。


どうでも良いが、ネットザッピングは俺の日常だ。

毎日何か書く題材が必要だ。新聞の社会面に毎日4コマ漫画を書いている先生方は本当にすごいと思う。よく言われるが何らかの半自動的なネタ生成の仕組みがあるんだろうか。

さて、俺のようなケチな凡人の場合は、ネットの記事をザッピングするのが関の山だ。そう簡単に良さそうなものを見つける術は俺には無いが、今日は偶然おいしそうな記事を見つけたのでそれを題材とする。それは著名人の面白?発言だ。

ある有名人が、「未来志向」や「準備」について書いていた。間違えているかもしれないが要旨は、「準備に拘る必要はない、準備万端だと想定外で落胆が大きい、行き当たりバッタリが生産的、想像通りにすすむ人生はツマラナイ、心配しすぎないで遊んだ方ががが未来は豊か」と言った感じだ。ぜんぜん纏まってないが興味があればこういうキーワードで検索すれば出てくるだろう。最近の記事だ。

このような哲学的、人生観が出る考えは善悪とか正誤はほとんどない。従って反論を書ければ投稿一丁上がりになる。俺も心からの反対意見を書こうと思う。

俺の意見はこうだ。

長期、短期、何にしても、準備はできるだけ、した方が良い。

理由は3つある。

まず、準備・計画しても、その通りになるわけが無い。必ず、想定外・予想外が起きる。時間は有限だから、全てをスキなく網羅して準備は不可能だ。例えば移動するのに分刻みで交通機関利用を予定しても、時間通りに電車が来ないかもしれないし、乗り換え途中でトイレに行きたくなるかもしれない。間違えて違うバスに乗ってしまうかもしれない。長期計画はもっと想定外折込済みだ。長いんだから余計何か予想外が起こりやすい。想定外が起きるのは想定内だ。いわば生きていれば予想外が計画に入っている。避けられない。予定していた予想外が起こるわけだから、落胆しないし、つまらなくなり様がない。

また、想定外・予想外が起きた時の対応に、準備や計画が役に立つ可能性がある。予備知識は想定外の決定をする際に、基準になりうる。例えば会合で10分間図表説明(プレゼン)するのに準備するとする。しかし予想外の質問や話題の脱線は良くある。しかし準備してあれば「予定外の質疑でもう時間が無いからここは省略して、重要なこのスライドだけは声明しよう」とか対応しやすい。何の準備もなく行き当たりやると、何のための説明なのか伝わりにくいだろう。あるいは旅行で途中の宿に突然泊まれなくなったとしても、準備していればその辺りの他のホテルも予備知識がある可能性がある。対応しやすい。見方によってはより生産的だとも言えるだろう。

そして、準備・計画というのは、頭を使う。考える。想定外があれば誰だってそこで考えるが、準備計画があればそこでも予め考えているから合計の思考時間が無計画の場合に比べて長くなる。人間考える時間が長い程良いという事は無いが、考える事自体は貴重だ。頭を使うのは、尊い時間だ。頭を使った方が、豊かな人生になりやすいとも言えるだろう。遊びも豊かな生活には必要だが、より重要なのは考えて話すことだ。よく学びよく遊べというより、よく考えて、よく話せが適切だ。何だか偉そうになってしまって申し訳ない。

行き当たりバッタリにも対応可能だ。もし準備想定していない事態になったとする。予備知識で再考しても良いが、サイコロを準備しておいて、それを投げてもいいわけだ。つまり準備・計画路線は、行き当たりバッタリにも臨機応変だ。

投資家だから投資についても考えると、株を売買する際、行き当たりバッタリなんて愚かだ。なんの根拠(≒準備)もなく買うなんて有り得ない。投資額が大きい程、長い時間をかけて会社を調べるのが王道だ。

という事で、準備や計画の有効性を説明してきた。そもそも、俺は行き当たりバッタリとか考えないで感性で行動するとか、幻想だと思う。僅かな天才とかにはそういうのもあるのかもしれないが、凡人がそのような発言をするのは俺は冷めた目で見ることにしている。どうだろうか。

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