
何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので疑って読んでくれ。
以前、東京一極集中について投稿した。
先日、「リゾート移住」について投稿した。要旨は、リゾートというのは不便な場所、敢えて移住するのは疑問という事であった。今日はこれに関連して、「一極集中」について考える。ここでいう一極集中とは、日本国内の、大都市、特に東京や大阪にヒト・モノ・カネが集中する傾向の事をいう。上記投稿で書いた通り、超富裕層を目指す求職中の俺は、住むならある程度市街化された地域が良いという希望だ。田舎に居住した経験はほとんど無く、大都会の真ん中に住みたいというわけでもないが、田舎暮らしは合わない。さて、一極集中だ。結論を先に言うと、俺は集中でも分散でも気にしない。短く言うとどうでも良い、というか「ヒト・モノ・カネ」の動きは自然に任せるのが大切だ。その結果それらが数ヶ所に集中したとして、だからどうしたという感じだ。
要旨は、東京一極集中への批判を真に受け過ぎるのは非合理的、その必要は無いという事だった。
本日はそれに関連して、権力の一極集中を題材とする。総裁選挙の報道でも、権力の一極集中を改善するという趣旨の記事をよく見かけるし、時事問題とも言える。だが批判が俺にはシックリ来ない。
まず、権力の一極集中批判というのは、定義が曖昧だ。毎度同じ凡人論法で申し訳ないが、何を以て権力集中というのか。もし特定の権力制度を意味しているならそれに対して非難すべきだが、どうも行政府や政権に全体的に集中しているという批判が多い。もし特定制度に問題があるなら、それ自体が問題であって、集中先を排除しても同じ問題が起きるだろう。
そして、そもそも、それ程権力が一極集中しているのだろうか。権力というのはある程度集中しないと、組織や集団は決断や変化への対応が出来ないので、生き残るのに不都合だ。日本は民主主義国家で法治国家、中国・北朝鮮と比べて、権力集中度は低い。憲法でも権利の分立(分散)が定められている。権力がそんなに集中しているなら、権力者がやりたい放題になるはずだ。有権者がやりたい放題を認め続けているとでもいうのか。
実際は「放題」では無く、権力者は有権者の意見を聞いて政策に反映させている。そうでないと落選してしまう。超富裕層とかごく少数の有権者だけの意見を聞いて当選しつづけているのは難しい。普通は当選のため多数派の意見を取り入れる。そしてそれが仮に悪い政策であっても、それが民主主義だ。俺も万能な制度とは言わないが、他に良いやり方があるのか。権力を分散させるだけさせれば、それよりもよい社会になるとでも言うのだろうか。
また、権力者を選挙で選ぶ、つまり誰にある程度の権力を与えるのか決めるのが民主主義だから、行政府や政治家には権力集中があって当然だ。だから選挙で権力行使者を自分の代理として選ぶわけだ。権力の無い政治家は何もできない。従って住民国民のためになる活動もできない。完全無権力か完全権力集中ではない。その間を選挙で調整する。だから、権力集中を批判するなら、何か基準が必要だ。通った法案数とか人事の認可数とかまぁ色々あるが、一番の基準は選挙だろう。
まとめると、
・なにか特定の制度が悪い権力集中を起こしているなら、そこだけを正せば良い。そしてそれは民主的に決まる。
・政治家に権力集中してやりたい放題度合いが有権者に受け入れられなければ、淘汰されるのが民主主義だ。
・権力集中判断には基準が必要、一番わかり易いのは選挙。
どうだろうか。