「1億総中流」の幻想

2021-10-08 投稿

情報リテラシー

「1億総中流」の幻想について考える。

何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。


先日、ある政治家が「1億総中流社会を復活させる」と発言した。

政治的発言だから全部真に受けるのも何だが、本日はこれを考えてみる。

結論を先に書くと、「1億総中流社会」はあり得ない幻想だ。頭の中だけに存在する。机上の空論といっても良い。ソビエトでも「1億総中流」には程遠かった。自由経済社会である日本では達成はほぼ不可能、やるならば恐怖圧政で民衆に強制させるしかない。それでも指導者や一部の特権階級が残るだろうから、実質的にはそうならない。

それはいいとして、「中流」の定義は曖昧だ。例えば「年収300万から800万」だと上も下もはみ出る人が多数いる。そしていくら下限を広げても「中流」つまり「中くらい」だからゼロは考えにくいので、ゼロ付近の人達が中流に入らない。世の中にはすすんで「ゼロ収入」を貫いている人もたくさんいる。そういう人達はどうするのか。強制労働させて無理やり中流に仕立て上げるのか。それとも理屈を通すためにはゼロ円〜800万円までを中流とでも言うのだろうか。すでにバカバカしくなっている。

下の方が他から働かずとも分配されればば良いかもしれないが、上限の方も相当広げないと結局「1億総」にならない。上は年収1000億とかにすれば全員含められるかもしれないが、それでは「中流」とは言えない。それとも上800万に国民全員矯正するため、いくら稼いでも800万以上は毎年全額税金で取り上げるみたいな制作を目指しているのだろうか。

大体政治家が2000万円とか3000万円の年収があって、とても中流とは言えない。議員の給料を中流内に強制的に納める政策と合わさっていないと、議員も当然「1億総」に入るわけだから、発言者本人が矛盾を体現している。

つまり「1億総」と「中流」は両立できない。少なくともとても難しい。現実的には達成できない理想だ。そもそも「1億総」等とつく標語、政策目標は非現実的、もっといえば前時代的だ。何かの経済統計を1億の総個人でほぼ同じにするには、統計を捏造したとき以外にはありえない。

だからもし主張するなら、正確には「国民のX%中流社会」とか「国民のY%が収入A円〜B円」という目標がより現実的だ。

でもそんな標語になんの意味があるのか?

例えばXが80だとだめだが90だといいのか?(Y、A、B)の組み合わせで経済学的に証明された、これと言う正解があるのか。

例えば「X=90」だとしても下に何%か中流以下の人達が存在するのに、90%が中流だから問題ないとなるだろうか。10%はそのままで良いとするのか。それ以前に90%達成も難しい。Xの値は無限にあるが、どれをとっても長短あって、仮にそこに正解があるにしても、しかも時代や世界情勢によって変動するかもしれない。

そもそも、国民の所得分布を極端に中央に集める様な制御が可能だろうか。そして可能だとしても国民の所得を政府の目標として操作すべきだろうか。

結局、このような一定の所得分布を目指すというのは、それがどのような分布形態でも非現実的だ。繰り返すが第一にそのこれという正しい「分布」は存在しない。第二にそれがあるとしてもそれを実現するのは難しい。

当然、件の政治家も自身や党の人気を得るための政治的発言なのはわかっているが、それにしてもこんな社会主義国家みたいな目標を語る政治家はとても信用できない。選挙目当ての人気取り発言としてもあまりにバカバカしくて問題だ。どうだろうか。

管理人

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