経済のグローバリゼーションについて考える。
唐突だが、経済のグローバリゼーション(Globalization、以下「地球規模化」と略)について検索すると、否定的発言が比較的多い。地球規模化に飲み込まれるとか、多様性が失われるとか、貧富の差が広がるとか、そんな感じだ。
肯定派もいて議論は尽きないし、この際その是非はどうでも良い。
なぜなら、いくら否定しても、完全排除は非現実的だし、大勢として地球規模化は続く。抗うと言っても速度や浸透程度を和らげる程度で、ゼロには出来るはずがない。
地球規模化の定義は異論あるかもしれないが、大雑把に多国籍間でヒトモノカネ情報がより自由に動く事だ。日本は事業で輸出に依存し、それで稼いだ金で多くの依存している物品を輸入している。
部分的に排除するにしても、地球規模化に飲み込まれずに、多様性を維持しつつ、格差貧富の悪化も避けつつ、自分たちに都合良い輸出は維持するような、自由な経済資源移動の制御はできるか。仮にそれが可能でも、貿易先の国の事は制御できるか。
とにかく地球規模化はゼロにはできない。仮に輸出入をゼロにしても国家運営が可能な国があるとすれば、米国だけだ。日本は受け入れるしかない。自分たちは散々色々輸出しておいて入ってくるのは俺たちの雇用や文化に悪いからダメだと勝手な論理は通用しない。お叱りを受けるかもしれないが、そういう主張をする方々は地球規模化下に於いて競争力が無いから反対しているのが実情なのかとゲス推測してしまう。
いくら否定しても非難しても嫌いでもゼロにはできない、受け入れるしかないから、あとはどうやって受け入れられない部分だけを制御するかだ。当然、貿易相手にも都合があるから、お互い、あるいは多国間の妥協点を見つけることになる。だから2国間や多国間で協定するわけだ。だからTPP(Trans-Pacific Partnership Agreement、「環太平洋パートナーシップ協定」)とか日欧貿易協定(Agreement between the European Union and Japan for an Economic Partnership、日本語の正式名称「日本・EU経済連携協定」)とかになる。その内容に反対する人もこれまた多いが、万人に受け入れられる方策はなく、調整・判断は政治的に決定される。選挙があるから、少なくともある程度は民主的な意見だ。
話がそれるが、地球規模化もダメでそれを部分制御する貿易協定もダメというなら一体何に賛成できるのだろうかと思ってしまう。もしかしたらこういう人達は何に於いても現状維持が「是」で全ての大きい変化に反対するのかもしれない。わからない。もしそうだとして自分達は変化しないにしても、周囲や外部が変化するわけだから、「鎖国」でもしなければ、早晩「無変化主義」は破綻の宿命にある。そして他の変化は小手先の修正でなく、今後は大きい変化が早く起こる可能性がある。なぜならネット社会で情報だけは少なくとも一瞬で移動できるからだ。
話を戻して、具体的には関税とか国内労働力の優先だが、費用が価格に転嫁されて結局消費者が割を食う。富裕層は価格上昇の影響が相対的に少ないから、格差拡大、貧困の悪化の原因になる。そう考えると、地球規模化反対は富裕層や金持ちに支持されやすいかもしれない。なぜなら相対的に経済優位が維持拡大される。
もちろん国内の産業が守られる面もあるから差し引きだが、凡人投資家の俺が考えると、確証のない貿易保護効果を目指すよりも、確実な物価下落の圧力となる2国間多国間のより自由な貿易協定の方が得が大きいと思うのだが、どうだろうか。