下落時の心理と変化に脆弱である危険性について考える。
何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。
今更だが、先月から株式相場が下落傾向で推移している。株価は時に激しく上下するのが宿命であり、それが面白くて良いところでもある。俺自身はここ数日で大変に資産が目減りした。少し買い足したが、またそこから下がってしまった。
ところで余計なお世話だが、ファイアーとか若セミとかで「上がってしまった」人達はどのような心理状況だろうか。
特にほぼ配当のみで慎ましく生活していると、株価下落は保有資産や配当額が心配になるのではないか。だからといって、資産額が上がったとしてもそこからの配当が必要だから売却するわけにも行かない。売却で税金も払いたくない。
つまり、経済的な余裕がどれくらいあるかにもよるが、配当依存度が高いほど、下落にも上昇にも株価の変化にはある意味脆弱だと言える。なぜなら、「生活維持」のためには「配当も維持」されるのが大切だが、「配当維持」されるのは経済状態が安定しているのが望ましいからだ。相場の乱高下というのは経済状況の激変を伴う可能性もある。良い方に出るかもしれないが、安定した生活を賭ける位なら、良くならなくても今のままが維持されたほうが良いと考える。
少し位の穏健な変化であれば損害も少ないかもしれないし、時間をかければ元に戻れるので受け入れられるが、大きな上下になるほど、危機管理が難しいので、避けたくなる心理が働く。
先が見えた老人とか、相当に余裕がある人は別だが、そうでもない人達があとは配当をもらい続けてそれと年金で生活維持みたいな「労働市場から上がりモード」すなわち「余生モード」に入ってしまうと、このようにだんだん変化を忌避する、変化を嫌う、傾向が出てくる。なぜなら、予定が狂った時の事は予定に入っていないから、対処に困ってしまう。そもそも、「先が見えた老人」でさえ曖昧だ。これからどんどん余生が長くなる。あと30年とかを想定していたら、もう15年あるかもしれない。想定外だ。従って、最近多い?若年でありながらの労働市場からの退出は、先が長すぎて危険度が高くなる。つまり一定期間で変化が起こる確率は同じとしても、長い時間では確率が上がってしまうからだ。30年が45年に伸びると、何かが起きるのが概算で1.5倍と考えるのは合理的だ。
余談だが、「〜歳まで生きれば、あとはいつ死んでもいいから、その先はどうでもいいんだ」的な一種の「遠い将来は投げ遣り」的な人もいるかも知れない。だが、お叱りを受けるかもしれないが、もしそれなりに健康であればそういう類の人もきっと生への執着を見せるだろう。それが生物の本能だ。「いやー80歳までの予定だったから、全部お金使い切っちゃった」みたいな状況で「もう生活するお金も無いし、あとは野垂れ死んでももういいや、どうでもいい」とならないと思う。まぁ当人も冗談半分なのかもしれないが、もしそうだとしたら、俺はそんな出来もしないことを割り切った風に発言をする人はとても信用できない。
話を戻して、俺もここまで偉そうな事を言ってるが、自分もそれ程変化に「柔軟で万全」なわけではない。いくつかの銘柄に集中投資しているから、その所有株が暴落したら落ち着いてはいられない。自分への戒めとしてこれを書いている。天変地異とか戦争とか自分の病気とかはどうしようも無い面も多いが、理想としては経済的な変化は何でも概ね良い事として、できればうまく利用して対応し、「余生モード」入りを先延ばしにしたい。どうだろうか。