新自由主義について考える。
何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。
考えると言っても、「グローバリゼーション」と同様、俺には其の辺の学も無いので、稚拙な論考を許してくれ。全くの頓珍漢で間違っているかもしれない。
俺の結論を先に書くと、ほぼ実体のないメディア用語で、気にする必要はない。従って、新自由主義はイカンとかその反対とかという記事や動画は信用しない。
新自由主義とは何か。平たく言うと、税金や政府の介入の割合を低くするのを目指すらしい。大変結構な目標だ。
その逆は何というか知らないが、便宜上「新平等主義」とでもする。税金や政府の介入の割合を多くする。それだけだと困るが、それで格差や貧困を防ぐ方策を取る。それはそれで良い目標だ。
では、良いところを取って、税金や政府の介入の割合を低くしつつ、格差や貧困を防ぐ方策を取るのは可能だろうか。
意見は色々だろうが、無理があると思うのが自然だ。つまり、新自由と新平等はそれぞれ長短あるわけだ。だから完全自由か究極平等を目指すより、現実的には経済政策としてはその間で調整する事になる。
ではどのように調整するか?
ここで議論が起きる。万人が合意できる調整地点は無く、皆自分の都合で得になるような調整を求めるのが合理的だからだ。
ではどうするか?
それは民主的に選挙で決めるしかない。陳腐な結論で申し訳ない。だから、「新自由」か「新平等」かを全面に出して議論してもしょうがない。1か0でなくその間の調整値で争うだけだからだ。
では、なぜ「新自由主義」があちこち取り上げられるのか。
全部とは言わないが、多くは当然、商売のためだ。つまり、割合としては少ない資産家を批判すると視聴率が上がったり本が売れたり商売が成り立つと考えられているため、その宣伝文句の1つとして使われている。宣伝に踊らされる必要はない。
投資家としてはどうだろうか。
俺はどちらでも良い。ゲス邪推だが、ここで超富裕層の誰かが「俺も金持ちだが新平等目指しもっと税金を取ってくれ」と言うと感じが少しは良いだろう。だから超大金持ちはそのスタンスを取る人も多いが、内心はどちらでもいいと思っているのではないか。なぜなら、余程極端な悪政にならなければ、如何様にも対応できそうだからだ。もしかしたら「極端な新平等主義(反・新自由主義)」を望む悪い?金持ち達も多いかもしれない。だって、極端な新平等主義はどうしても増税傾向になる。仮にそれで経済が停滞したとする。すると金持ち以外がより酷い影響を受け、相対的に金持ちが優位になる。余裕があるから株価等資産価値も下がれば追加投資できる。
つまり、これも俺のゲス邪推だが、資産家は元々の理想は色々だが、資産が増えるに連れて「理想より資産」の現実重視となり、自由か平等かはどうでも良くなってくる。「新平等」で資産家は困るだろうメシウマだと思うかもしれないが、究極どうでも良く、実際はある程度の民主主義が維持されるなら「どうなっても俺たちが勝つ」とタカを括っている。
自由でも平等でも差が縮まりにくい社会の実態。解決は難問だ。これも俺考え邪推だが、このような困難が行き過ぎ爆発すると、ゼロリセットを目指し革命や戦争が起こる。共産革命は、この雁字搦めからの脱却を目指しているのか。わからない。資産家としては、これが怖いかもしれない。いや、もっとゲスゲス邪推すると、もしかしたら、革命でさえも金儲けしやすそうと考える資産家もいるかも知れない。わからない。